「談志が死んだ」
ガンなんだといっていたから、もうそろそろなんだろうとは思っていたけれど、あれからもう既に随分と時間が経っていて、「あれ?あのガンはもう通り過ぎちまったんだろうか、さすがのガンも談志にあっちゃかなわねぇんだろうなぁ」と思っていたのだけれど、さすがの談志もガンには勝てねぇんだな。
師匠の柳家小さんを遙かに超える天賦の才を持っていただろうという気はするけれど、その才能を遺憾なく発揮したかといったら、私は彼はそれをわざわざしなかったような気がする。
あれは1970年代で彼が参議院議員に当選してしばらく経ってのことだったと思うけれど、六本木の交差点の角から二軒目のビル(角は蕎麦や)の地下にあったMr. Jamesというカントリーの店で誰だったか忘れたけれど、カントリーを聴きながら食券で頼む酒を吞んでいたら、そこに盛大に酔っぱらった談志が入ってきて、誰彼構わず「オイ、ジミーはいねぇか」と名刺を配った。ジミー時田のことをいっていたのだろう。同じ酔っぱらい仲間だったのかも知れない。そういえばジミー時田も良く酔っぱらっていた。
その時に私も談志の名刺をもらった。もうとっくにどこかに散逸してしまったけれど(やくみつるだったらきっと保存しているんだろう)、その名刺にはただ「参議院議員 立川談志」としてあった。
その後彼は沖縄政務次官となってすぐに沖縄サングラスをかけて記者会見に出てきて、新聞記者の沖縄に関する質問に対して「俺がそんなこと知るわけねぇだろう」と答えて大騒ぎになった。すぐに辞任することになるのだけれど、その辺の顛末のことを高座で説明したCDがそのまま残っている。多分「ひとり会」かなんかだったと思う。
あの頃テレビを席巻した噺家でまだ生き残っているのは一番ださかった「円鏡」ぐらいだろう。