ほぼ足りてまだ欲 その先

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うちの猫

 時々登場するうちの猫はもう既に16歳になる。前にも一度書いたことがあるのだけれど、彼がうちに来る前に実は生まれてすぐに捨てられていた猫を引き取ってきた。性別すら知らない。というのは、うちに連れて帰ったのだけれど、二日もしないうちに死んでしまったのだった。今から考えてみれば母乳を最も必要としていた猫にどの様にして食べ物を与えて良いかもわからなかったし、多分箱の中に布を入れてやったけれど、寒くもあったのだろう。すると息子がとても嘆き悲しんだ。もう本当に身を投げ出さんばかりに悲しんだ。そこで仕事を休んで二人でその亡骸を箱に入ったまま抱え、車で日頃から家族で出かけていた群馬県の山に葬ることにした。あの山までは高速を使っても片道4時間ほどかかる。息子はずっとその箱を抱えていった。泣きながら。その山の東の斜面からはとても美しい山あいの景色が拡がる。向こうの山にある学校で夕方鳴る鐘の音がそこまで聞こえてくる。そして滅多に人は来ない。そのこんもりとしたところに50cm程の深さに土を掘り、箱のまま埋め、しっかりした枝を拾って表面を削り、引き取ったその日に付けた名前を書き、墓碑として立てた。
 帰ってきてからもまるでなにかが欠落してしまったような家の、その何かを埋めるのはなにか、と考えた末、今の猫を貰ったのだった。しかし、あれからもう既に16年経ってしまったのだ。人間にしたら一体何歳くらいになるというのだろう。80歳くらいじゃないのかという話も聞く。そろそろなにかがあってもおかしくない、といっても良いのではないだろうか。
 娘がその猫を見ていったそうだ。「必ず死ぬ時が来るんだよねぇ」と。信じたくないけれど、生き物なんだから必ず来る。私とこの猫とどちらが先まで生きるだろうかと思うこともある。私だって、ポクッといってしまわないとは限らない。行きたいところに行き、見たいものを見、読みたいものを読み、いいたいことをいっておかないと、いつ逝くかわからない。そんなことを思いながら作った麻婆豆腐は味に深みが足りなかった。深みが足りないところは私の今までの人生そのままだ。