ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

長野原線→吾妻線

 渋川から吾妻川の沿線をがたんごとんと渓谷を見ながら川を登っていくJR線はかつて長野原線といって、長野原で終点だった。かつてはそこからすぐに山に向かって鉄道が延びて、太子というところまで登っていった。そこにはケーブルリフトで鉄鉱石が運ばれてきたのだそうだ。六合村といわれるその地域はかなり広いが概ね山だ。そこに群馬鉄山といわれる鉄鉱山があって、日本では他に釜石にしかなかった鉄鉱石を産出していた。それも日本では珍しい露天掘りだったという。今ではとっくに埋め戻されているので、だぁ〜れもそんな頃のことに思いはいたさない。こちらの方のご説明で知ったのだけれど、長野原の駅の先を右に曲がるとすぐに今の吾妻線の鉄橋をくぐるが、その先の左側に見える鉄道橋のようなものはそのころの鉄道橋の名残りなんだそうだ。驚いた。軌道跡も道路に使われている部分があるんだそうで、なんとトンネルまで残っているのだそうだ。この沿線は本当に鄙びた雰囲気がそのままで、道の途中には数えたことがないが、多くの道祖神やお地蔵さまが立っている。この先にどんどん上がると尻焼温泉花敷温泉があり、登り切るとそこは東京電力の発電用人口ダム湖野反湖である。季節によっては結構な車が上り下りするのだけれど、あまり知られていないが、品木ダム方面に左に曲がって草津にはいることも出来る。草津温泉の方から元山、熊倉地区に入ることが出来ないときにはダムの堰堤道路を渡ってこっちから入ることも出来る。長野原(今は長野原草津口?)から万座鹿沢口を通って大前まで鉄道が延びたのは昭和46年のことだという。多分この年の10月にこの鉄道を利用して新鹿沢の鹿沢館に泊まったのだろうと思う。台風が来て翌朝の電車が不通となり、バスでどこかまで出た様な記憶がある。次の日のうちに静岡まで帰らなければならなかったので、ちょっと焦った。大前の駅は終点なのに、一日に5本の電車しか来ない。吾妻線は大前ー高崎間に各駅が5往復だけなの?と思うとさにあらず。万座鹿沢口までは特急3本を含み12本が往復している。つまり、終点まで来る電車がそれだけという超変則である。それでも確か今月の新聞にJRがそれすら減らそうとしているだったかなんだったかの記事が出ていたんだけれど、チェックするのを忘れてしまった。ね、民営化するとそういうことになるんだよ。どんどん道路ばっかりにして鉄道をなくしていくことになるんだろうね。道路といえば西武が経営している万座・火山ルートとかいう有料道路っていまだにあるんだよね。あ、鬼押し出しの有料道路ってのもまだあるなぁ。