ほぼ足りてまだ欲 その先

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リビア

 今日のリンク元に見慣れないURLを見付けた。こちらである。たぐってみると「 ワールドスポットガイド」とあり、リビアトリポリのキーワードで私が昨年書いたエントリーからたぐった人がいたということであった。それにしてもそのURLを見たらこんなにたくさんのリビア旅行をした人たちがいることに心底から驚いた。確かにJTBなんかでも観光旅行パックがあったりするのだけれど、かつては「リビアに行っていた」と語っただけで「えっ!いったい何をしに!」と驚かれたものである。これだけの人たちが、それも単なる観光で行っていたりするのだから、世の中本当に大きく変わってきているということなんだと思い知った気持ちだ。
 1980年に先遣隊で現地調査に行ってきた二人が帰国して最初に聞いたのは「ゴキブリがでかい!」はともかくとして、街中で写真を撮っていたら案の定囲まれてフィルムを抜かれたとか、面倒だなぁとモチベーションが下がることおびただしい話ばかりだった。実際に行ってみると何から何まで仕事を進めるためには問題ばかりが持ち上がったものだ。つまり、あぁしたところでの仕事がそんなに思った通りにいくわけはないのだから、ま、のんびりやりましょう、ということであればよいのだけれど、東京はそんなテンポで仕事をやらせることができるわけもなく、そんなことを東京の机にいたって理解できるわけもない。
 どうやらリビヤはスリ・ランカとよりを戻して労働者の供給を期待しているらしい。スリ・ランカは援助を期待しているらしい。当時あんなに一杯他国の労働者が入って様々な工事が行われていたのだけれど、これからはその為のファイナンスをどうするのかという点がよく見えない。フランスのサルコジが行ったと云うが、何をしに行ったんだろう。
 それにしてもこんなにたくさんのリビア国内の写真がネット上にとても自由に氾濫しているのが嘘の様だ。工事期間中に進捗状況を撮影するカメラクルーを日本から呼び寄せたのだけれども、当時は本当に大変だった。機材やフィルムの出し入れに大変な労力を使った。現地で現像しないと持ち出すことができないかも知れないという噂だった。それでおシャカになったら眼も当てられない。現場での撮影にはリビア映画協会なるものから二人の人間がついてきたけれど、陰で語られていたのはもっぱらあれは秘密警察に違いないというものだった。だから、クルーが現地に来た時にも秘密裏に造られていたどぶろくは砂漠のどこかに隠しに行った。そうそう、あのフィルムは一体全体どうなったんだろうか。もうあれから30年近く経つわけだ。