ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

公の前には私はあるべきでないか

中山成彬国土交通相は25日、産経新聞などのインタビューに応じ、成田空港の拡張が地元住民の反対などで進まなかった経緯について、反対派らによる「ゴネ得」と述べ、「戦後教育が悪く、公共の精神が欠けている」と批判。(msn産経ニュース2008.9.26 01:29)

 まじめな顔をしてこういうことを普通にいっている人は巷にはあちこちに存在する。国民全体の利益のためには自分の利益を主張することは控えるべきだという。自分は関係がないからいくらでもいいたいことはいえる。自分の生活はかかっていやぁしないから、なんでもいえる。では、羽田の東京国際空港が手詰まりになっているからその打開のために何が何でも三里塚新東京国際空港として開くのだとして推し進めてきた結果、羽田空港地区はそうした施設から脱却することができただろうか。以前に増してより滑走路は拡張され、ターミナルは巨大化しているのはなぜだろうか。だったら三里塚地区から農民を追い出して開港する必要があったのだろうか。結果的にはこれだけの飛行機利用者が増大したのだから国際線専用東京空港、国内線専用東京空港として使い分けることで決着がついたといって良いだろう。しかし、これでは当時の行政の見解、そして説得のための前提を大きく逸脱しているといわざるを得ないではないか。しかも、霞ヶ関は公文書を公開するという姿勢を明確にしていないところに問題が山積みだといえる。
 その延長線上で考えると、それでは飛行場を開港してそれが果たして存続できるのかどうか大変に疑問のまま工事を続行する地方空港の認可を続ける国交省の見解は何か。川辺川ダムや八ツ場(やんば)ダムの計画が未だに疑問を持たれながらそのままとなっている国交省の見解はどうなのか、そちらをこの際、中山成彬に聞いてみたい。