ほぼ足りてまだ欲 その先

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御用達番組

 昨日は夕方打合せがあるはずだったのに、午後から体調非常に悪化し、無理を言ってそれを断ってもらって夕方から夜までずっと寝ていた。だから、今朝は朝早く目が覚めた。それ以上寝ていられなかったというのが正直なところだろうか。だから、それ程きついわけでもなさそうだ。昔だったら無理してでも出かけたところだろう。プロだったらそれくらいのことで人に頼んだりしない。そこが何をやるにもちょいの間の腰掛け的意識でしかないといわれる由縁なり。確かに仰るとおりなのだろう。
 東京FMというラジオ局をつけると石原慎太郎と蜷川行雄が座談をしている。「東京の窓から」という番組でテレビはTOKYO MXで、ラジオはTOKYO FMで放送されているものなのだそうだ。「慎太郎」と聞いただけで変えようと思ったのだけれど、そのまま聞いていたら、蜷川が英国で舞台をつくったときの話をした。

 小屋のスタッフが8時間労働で代わってしまう。タイミングで外の扉を一斉に開けるという設定があるのに、稽古をすると交替されてしまって一発でその息が通らない。
 そして舞台稽古の時に8つなくてはならない小道具(この時は地蔵だったといったような気がする)が7つしか出てこない。どうしたのかと思ったら小道具係がひとつ壊してしまったのに、それを何もいわずにそのままにした。8つなくしてはバランスが悪くなってどうしようもないのに、何もいわないでそのままにしようとする。管理者に「英国人は恥を知らないのか」という手紙を書いたらようやく申し訳ないという返事が来た。

 こんな中身だっただろうか。なるほど日本で通用する習慣、「そうしたもの」という今更改めて確認しなくてもどうにかなるものが、外国ではなかなか難しいんだという話だったと思うし、それにしてもこういう話はこれまでにも随分語られてきた話だったと思いながら聞いた。 
 しかし、慎太郎の反応はそうではなくて、「あぁ、なるほど、組合の問題だな」というものだ。この話ひとつを取っても思うのだけれども、石原慎太郎という人は先日の「東国原の国政進出話」の時に「誰だ、そいつは、そんな奴はしらねぇな」と毒ついたときと同じように、もう賞味期間が完全に過ぎ去っている。こんな知事を選出してしまった都民のひとりとして誠に恥ずかしく、申し訳ない。