ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

図書館から感傷の旅へ

 5年振りに図書館に行ってみると建物は変わっていないけれど、中は随分変わっていた。まずロッカーが鍵の要らない新しいものになっている。元々はここは1ドルコインを入れて鍵を掛け、開けるときには鍵を開けるとコインが戻ってくるシステムでとても簡単だったけれど、1ドルコインがなくて困ったことがあった。今度のは開いているロッカーのボタンを押して、画面の説明通りにボタンを押すとパスワードを印刷した紙が出てくるというもので、開けるときはそのパスワードで開けるというシステム。説明書きは8カ国語を選択できるようになっていてその中にはなんと日本語があるのだ。学生の利用者が多いのかも知れない。登録証を造るようにいわれたのも多分初めて。新聞のインデックスが私の調べたい時代のものがコンピュータ化されていないのは変わっていなかった。ちょっと期待してしまったんだけれど、こっちはまだマイクロを探していくしかなさそうだ。
 これまで見ていた本をもう一度ここでも借りだして、ざっと肝心な日付を確認する。明日からはそれを元にして実際の記事にあたっていく予定。ここまでくるのにinformationの女性がとても面倒見よく手伝ってくれた。昨日の一件も担当女性がとてもよく手伝ってくれたし、こうした機関で働く人の素晴らしいところは見直してしまう。
 なにしろ参ったのはエアコンが効きすぎて寒いことだった。我慢に我慢を重ねて一段落するまで頑張ったけれど、午後2時近くになって飛び出した。
 ランチはチフリー・タワーのフードコートで済ましたけれど、ここにも日本食をうたう店が二軒はできている。かつて日本食屋があったところには、クロウズ・ネストにあった居酒屋が大きくなって移ってきている。成功した口だろうか。パソコンが重いのでバスで一旦宿に戻る。

かつて暮らした街へ

 午後後半になって少し陽が傾き始めてから、かつて暮らしていた街を見に行った。電車の沿線もそれはそれは大きく変わった街があるかと思うと電車から見る限りはなにひとつ変わっていない街があったりしてそれはそれなりにちょっと感傷的になる。
 あの駅に降りてみると随分綺麗になっている。無人駅であることは変わりないのだけれど、かつて木が植わっていたところに出口が増えていたり、なにしろエレベーター(リフト)ができている。
 駅前にあった美容院がひとつなくなったくらいでGolden Swallowという中華やさんも、週末飲茶をやっている中華やさんも、私が通っていた床屋もみんなそのままだ。角のケミストがジェラート屋になっているけれど、果たしてやっていけているんだろうか。メルボルンカップの馬券を買ったTABも、チキンやさんもそのままだ。角を曲がって驚いた。郵便局の建物はあるのだけれど、貸家の札が出ている。それを取り巻くように見慣れない実に似合わないビルができている。
 なんと日本食を標榜する店が二軒できている。その横にかつて角にあったケミストが移ってきている。えらい上品な紅茶やさんができている。かつて何屋だったんだろう。モールの中にまで「Udon」と書いたJapanese & Koreanと書いたtake awayの店ができていた。どこにいっても「Sushi」と書いた店が増えているものだけれど、確実にそれは日本人の経営ではない。
 かつて暮らした家は両隣とそのまた向こうの一軒を加えて四軒のハウスを全て倒してその後に誠にデザイン的には周囲に溶け込めないアパートメントが建っている。まだ、空き家がありそうで、週末にはinspection可能という看板が立っている。今頃だったらば家の入り口を紫色に染めていたジャカランダの木も全く痕跡を残していない。向かいの何回も地域の公聴会にかけられてようやく建てられた二階家のハウスがすっかり周囲になじんでいるのと比べて対照的である。地域の役所は不動産バブルに我を忘れてしまったとしか思えない。周囲を見るとどの通りにも1ヶ所くらいはそんな似合わない建物が建てられてしまっている。日本人もあの頃何も考えなかったし、今でもその点では病気が治ったとは思えないけれど、この国もバカになってしまったようだ。もうこれからは空から見ても確実に特徴として捉えられていたオレンジ色の瓦が緑の中に埋もれるように建っていた家々が次から次に消えていくのだろうか。
 三本向こうの通りに暮らしておられた方の家を写真に撮りに行く。ところがこちらも今にも壊されてしまうかのように工事用の塀でふさがれていた。