ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

目が悪くなると

 ここの所やっていることは目が悪くなったら本当にできない作業の連続。それでなくても読書眼鏡が必要となっている状況でマイクロフィルムをスクリーン上で読むのは苦労だ。これがまだ若いときだったらきっとなんの苦労も感じないでできる作業だっただろう。それなのにそんなものをぐるぐるっと回して昔の新聞をあぁでもない、こうでもないとひっくり返しているのは、どこに行っても概ね高齢者と決まっている。そうなんだからもっとマイクロフィルムを拡大して見せてくれる機械を造って欲しいのである。

東京ローズ

 そんなことをしている中で、豪州のThe Sydney Morning Heraldという新聞が1945年8月25日の紙面でJOHN STUART O'BEIRNEという記者の署名入りで「東京ローズは誰だ?」という記事を載せているのを発見。
 後にこの人が「東京ローズ」なんだということになってしまったアイヴァ戸栗のインタビューが米国の新聞に掲載されたのが9月3日のこと(実際のインタビューは9月1日のことのようだけれど)だから、まだみんなが興味津々だったのだろう。
 この記事の中でオブライエン記者はもうこれは全くの興味本位で書いていて、まず「こんな説がある・・」として来栖大使の奥さんで米国人のアリスがそうじゃないかと署名入りにしては無責任にいいはなっている。攻撃の準備が着々と進んでいる中でとぼけて和平に向けてそんな姿勢を見せていたずるい外交官のカミさんだからありそうだといわんばかりの言い回しであり、彼女は音楽学生だったけれど、放送関連のバックグラウンドもあり、何よりも彼女は「ホームシック」という言葉を良く理解しているはずだと、なかなか説得力があるのだ。
 次に上げてきたのはConnie Boswellという当時の花形女性ボーカリストの話を引き合いに出して、1936年頃に彼女のところにとてもファンなのだという女性が現れて彼女のレコードを全て持っているといったとても印象的な人だったというのだ。そしてあの東京ローズが出演していた「ゼロ・アワー」では彼女の曲がとても良くかかったという。あれから全くあわないあの女性ではないかというのがConnieの口から出た言葉として紹介している。
 もしそうだとしたら、用意周到な作戦だったことになるなんて書いていてスキャンダル週刊誌のような書き方だ。
 アリスさんは全くの大外れだったわけだけれど、Connieの前に現れたその女性が何人かいたというアイヴァ・戸栗を含む「東京ローズ」たちのひとりなのかどうかはわからない。ま、アイヴァ戸栗だったらUCLAの学生だったときの話だということになる。さて、その可能性はどうだったのだろうか。