折角国会図書館に行ったのだからと、朝日新聞の記事検索で「東京ローズ」のキーワードで記事検索をしてみた。これはひょとしたら戸栗郁子で検索したらまた違う記事が出てくる可能性もある。やってみなかった。
- 1946/10/26:わずか13行の記事で、しかも、戸栗イクエと名前まで間違えられている。
- 1947/12/05:これもたった13行。戸栗郁子(31歳)別名アイヴァ・ダキノと表記されていて起訴の可能性を伝える。
- 1948/07/30:わずか9行。米国で裁判が行われる可能性。
- 1948/08/18:青鉛筆というコラム。わずかに22行。正式逮捕を告げる。夫ダキノを「ポーランド人」とご表記。
- 1949/10/01:5行。29日に有罪判決が出たと報じる。
- 1949/10/08:9行のみで禁固10年罰金1万ドルの判決。
- 1950/02/08:13行。保釈金5万ドルを払って保釈請求予定だとウェーン・コリンズ弁護士が発表。
- 1952/04/29:15行。ウェスト・ヴァージニア州アルダーソン(Alderson, West Virginia)の連邦婦人感化院(現在のAlderson Federal Prison Camp)に収容されていたアイヴァ戸栗は上訴していたが却下された。
- 1956/01/05:16行。28日に釈放されると報道。
- 1956/01/29:13行。釈放と同時に国外追放令状。「米国生まれの米市民に対して国外追放を指令できるかどうかの法律問題のテストケース。
- 1956/05/12:アイヴァ・戸栗・ダキノ夫人(39歳)は送還審問会に出席のためシカゴからサンフランシスコを訪れる。
- 1976/05/03:「ニュースの眼」59歳になったアイヴァ戸栗は三度目の特赦願いを出す。6年3ヶ月の服役を終えて1956/01に釈放された。
- 1976/11/18 夕刊:51行。1954、1968とこれまでに二度、嘆願書を提出するも返事はなかった。
- 1977/01/19:24行。特赦が本決まりとなる。60歳、「戸栗さん」と表記。
- 1977/01/20:66行。特赦なる。「やっと自由の身になった」19日午後2時過ぎに自分で司法省に電話をして、ようやく納得した。60歳。記者が「日本へ帰るつもりはありますか」という馬鹿げた質問をしていて「いいえ」という返事を掲載している。全米日系市民協会(Japanese American Citizens League = JACL通常は全米日系人同盟)戸栗委員会委員長のクリフォード・ウエダのコメント掲載。
- 1977/01/21:天声人語がアイヴァ戸栗について。ドウス昌代著「東京ローズ-反逆者の汚名に泣いた30年」に触れる。
- 1977/01/25:「ひと」欄にてドウス昌代を取り上げる。本名:梅沢昌代。昭和37年早稲田大文学部卒。昭和38年渡米。昭和39年結婚。著作は1976年末に刊行。夫:Peter Duus、息子:Eric(和平)
- 1978/10/27:川北友彌(57歳)上坂冬子同席の元、園田直外務大臣に名誉回復協力を要請。「アメリカ国家反逆罪」(下嶋哲朗著)に詳しい。やはり日系二世として来日中に戦争勃発。日本国籍を取得。大江山ニッケル鉱山で捕虜労働に通訳として従事。戦後1946年帰米を希望すると米国領事館から許可が出て帰米。1947年捕虜の一人の密告によりFBIにより逮捕。1952年死刑確定。1953年アイゼンハワー特赦で終身刑となる。1963年釈放となるが国外追放となり、来日。静岡で暮らす。父は戦時中North Dakota州のFt. Lincolnにあった比較的規模の小さいキャンプ(こちら、そしてこちら)に暮らしていたそうだ。(男性版「東京ローズ」として取り上げられていたために検索に引っかかる)。
- 1981/04/14:「ちょっとした話」欄に記載。アイヴァ戸栗65歳。横浜に住む、彼女の夫で日系ポルトガル人であるフィリップJ.ダキノ(60歳)の元にアイヴァ戸栗から離婚調停書にサインして欲しいと書類が送られてきたという話。アイヴァ戸栗は1977年に米国市民権を回復し、シカゴのWest Belmont Streetの戸栗商店を営んでいる。(多分父親が経営していたJ.TOGURI MERCANTILE CO.。父親は1943年にキャンプを出てシカゴに来た。1972年に90歳で他界。)一方、ダキノは1981年3月まで築地の通信社(時事通信だろうか?)で整理マンをしていたと書いてある。それはなんのことだろう。翌年コピー会社を設立。独り者でワンルーム・マンションに暮らしていると記載。彼等の間には生後すぐに死んだ長男がいたと。
- 1984/04/19:ラジオテレビ欄にドキュメント番組の紹介が「試写室」欄に記載。「松本清張事件にせまる - 東京ローズは誰か」大熊邦也監督作品。アイヴァ戸栗にインタビューを申し込んだが、拒否され、盗み撮りした横顔が出てくると紹介されている。
アイヴァ戸栗は2006年9月26日に父親と同じように90歳で他界。
フィリップ J.ダキノ、川北友彌はその後どうしているのだろうか。
一連の記事を読んでこんなことを考えた。
戦後直ぐの時期は新聞そのものの頁数が非常に限られていたので、記事の扱いが小さいのは致し方がないといえるだろう。それにしても彼女に関する記事は余りにも少ないといって良いだろう。米国民の中で女性で初めて国家反逆罪に問われたのが日系人であり、その彼女が戦後32年たってようやく市民権を回復することができたことに対して、彼女がなにゆえそうした汚名を追い続けたのかと考えるとわれわれ日本人はもっと彼女に注目しても良かったと思うし、川北についても関心を持つべきだったと思う。