ほぼ足りてまだ欲 その先

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最所フミ

 随分古い話だけれど、「チャールズ・カズンズ(Charles Cousens)」について書かれた「Tokyo Calling(Ivan Chapman 著)1990」を読んでいると、日本人としてFoumy Saishoという女性がクレジットされている。日本人にしては随分変わった名前である。どう考えても英語圏のファースト・ネームとしては聞き慣れない。ひょっとしてアジア、あるいは中近東あたりのsecond generationの人なのだろうかとも思った。
 その上引用先として「Gekkan Economist, 1976」という名前が出てきた。これは多分毎日新聞社の「月刊エコノミスト」に違いない。で図書館でこのバックナンバーを探してみた。すると判明したのは「月刊エコノミスト 1976年8月号」のことでその62ページから「<特別レポート>でっちあげられた<東京ローズ>」という記事が掲載されている。その著者が「最所フミ」である。この記事の最後に彼女については「評論家」とクレジットされている。
 最所フミは1908生まれで津田塾からミシガン大学に留学していて、戦争中に日本のプロパガンダ放送に加わっていたことからチャールズの豪州における反逆罪裁判の証人として出席していた。チャールズ・カズンズを語る本にも出てくるがアイヴァ戸栗の裁判には召喚されていない。1990年に他界しているようだ。詩人だった鮎川信夫と結婚していたようだが、ねじめ正一の「荒地の恋」にその辺のことが書かれているらしい。
 Ivan Chapmanがこの最所フミの記事を「Tokyo Calling」で引用している部分はアイヴァ戸栗が当時の日本人女性とは異なる格好をしていたと表現しているところである。

 彼女は日本の女に比べて小さくも大きくもなく、色白で、いつも白のブラウスに緑のジャンパースカートをはいて、太めの白のヘアバンドをしていた。これは二世でも誰でも女はモンペをはくことになっていた当時としては、ちょっとユニークに見え、容姿から見ると純日本的な感じだったが日本語は一言もしゃべれず、その代わりに英語でしゃべる相手がいれば誰とでも快くものを言った。

 アイヴァ戸栗が「日本語がしゃべれなかった」という点は普通に聞くと不思議に思える。彼女はカリフォルニア州のLos Angelesで山梨県出身の父・戸栗遵(じゅん)と母・フミ(偶然であるが最所フミと同じである)の間に1916年に生まれている(p.66 「東京ローズドウス昌代著 文春文庫 1982」)。生粋の日本人の両親に育てられているのである。しかし、確かに父親の方針は日系人社会の中にどっぷりと育てることを避けていたということだったらしく、彼女の幼少時代の友人は殆ど白人だったとドウスが書いている。1940年末にUCLAを卒業して医者になる夢を抱えてpost graduateに進んだとされている。
 実は父親は英語が堪能で、うちでは英語で喋っていたし、母親も片言ながら英語で語ったのだそうだ。だから戸栗の子ども達は親が日本語で語りかけても英語で返していたという。
 そういえば私の経験でも1970年頃のサンフランシスコで、私が日本語で語りかけると英語で返す三世の男と知り合ったことがある。
 アイヴァ戸栗は叔母の見舞いに日本に来た。当時日語学校に通ったけれど成果が上がらなかったようだ。

 アイバの日本語は他の二世と比較して実に下手だった。聞く方は多少わかるが、話す方は全くお粗末で、ましてや読み書きはまるで出来なかった。(p.66 「東京ローズドウス昌代著 文春文庫 1982)」)

 最所フミが語るアイヴァはタイプも打てなかったそうだ。post graduateの学生でも当時はエッセーやジャーナルを手書きしたのだろうか。そういえば鶴見俊輔は日米交換船で帰国する直前、収容されていた施設のトイレで最後のハーヴァードの論文を書いたといっている。まさかトイレにタイプライターを持ち込んだわけではないだろう。
 ところでIvan Chapmanはこうした資料を引用していると云うことは日本語が読めた、ということだろうか。ドウス昌代の「東京ローズ」も引用されているけれど、この著作は英語でも出版されているのでべつにおかしいとは思わない。
 しかし、月刊エコノミスト最所フミの記述を引用している部分では「she came to work wearing a blouse, jumper and skirt, and a white hair band.」としている。「ジャンパースカートをはいて」いるのと「jumper and skirt」では随分意味が違うと思う。豪州では通常jumperというと上着という意味でのセーターを指すことが多い。随分意味が違って見える。それとも"jumper and skirt"で日本で云う「ジャンパースカート」を意味することになるのだろうか。そうでないとカンマで括られていて、そのあとに"and"で繋げられているのがおかしくなる。いったいこれはどっちだろう。彼は日本語が中途半端にわかるのか、あるいは誰かわかる人に訳してもらったのだろうか。
 ちなみに「月刊エコノミスト 1976年2月号」には「誤訳が生んだ太平洋戦争」という記事を加瀬英明が書いている。