ほぼ足りてまだ欲 その先

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チャールズ・カズンズ

 若い人たちは聞いたことがないかもしれませんけれど、東京ローズという名前が昔は結構知られた名前でしたよねぇ。ま、私は子どもの頃はこれは多分ストリッパーの名前だろうと思っていたという無知さ加減でしたけれど、名前だけは知っていました。なんで知っていたのでしょうねぇ。しかし、東京ローズという名前は米国の兵士たちがつけた愛称というんでしょうか、ニック・ネームであって、戦争中は誰も「私が東京ローズです!」なんていっていませんね。今や「東京ローズ」という存在は何人もの女性だったというのは広く知られていることです。
 米国で国家反逆罪を課せられた「東京ローズ」はアイバ・郁子・戸栗・ダキノ(Iva Toguri D'Aquino)という日系二世の女性でした。戸栗が父母の姓で、ダキノは彼女が日本にいたときに結婚していたポルトガル人の姓です。
 彼女がなんで国家反逆罪に問われたかというと、敗戦直後に東京へ入ってきた新聞記者たちは先を争って天皇裕仁のインタビューをとろうと虎視眈々と狙っていたらしいのですが、それはなかなか実現しませんよ。で、気の利いた記者が「そうだ、東京ローズを探そう」となったわけだというのが、ドブス昌代の「東京ローズ」を読むとわかります。
 ところで日本に囚われていたチャールズ・カズンズという元豪州兵のことはあんまり知られていません。やっぱり男性は女性に比べると話題になりにくいのでしょうか。彼はアイバ・戸栗と戦争中、同じことをやっていたというより、彼がスクリプト・ライターであったようです。
 この話は前にもここに書いたなぁと今思い出しました。段々記憶が曖昧になってきたのかというとそうでもないのですが、自分自身にこうして書いておかないとまた鈍ってきちゃうから、というのもありますね。
 一度彼のことをどう思うかと、かつて日本軍の捕虜としてひどい目に遭った豪州人の方々にお伺いしたことがあります。その時は4-5人の方がおられたと思うのですが、全員が「許しがたい」と発言しました。
 ひょっとすると、多くの豪州兵捕虜が辛酸をなめる生活を余儀なくされた間、彼が東京で比較的まともに暮らしていたことが反感を買っているというのもあるかもしれませんが、やはり敵のプロパガンダ放送に従事したということが一般的にいったら反感を買うということになるのかもしれません。戦後の彼に関する報道も影響しているといっても良いかもしれません。
 チャールズ・カズンズは元はといえばSydneyの、今でもあるラジオ局の職員だったわけです。それを利用して、日本軍は大敵太平洋向けプロパガンダ放送に従事させたというわけです。従って彼も戦後日本から豪州へ帰ってから国家反逆罪に問われたのですが、無罪放免ということになりました。アイバ・戸栗が当時の大統領選挙で利用された結果有罪となったという見方がありますが、今から考えたら彼女は全くの悲劇の人であります。彼女は1977年に特赦で釈放され、シカゴで父親が経営していた店を手伝っていたそうですが、2006年に90歳で他界しました。まさにひっそりと人生を送ったようです。一方、チャールズ・カズンズは1964年5月に60歳で他界しています。
 彼の裁判記録にも興味がありますが、その前にアイヴァ・戸栗の裁判記録ははなはだ興味深いものがあります。実に恣意的に行われたということが、先のドウス昌代の著作でも明らかですが、最近ではThe Asian American Bar Association of New Yorkというグループが「Iva: The Myth of Tokyo Rose」という芝居を2013年5月に上演していたそうです。何か記録がないものかなぁ。