ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今日で打ち上げ

 明日一日あるのだけれど、明日はやることがいくつかあるので作業は今日で終わり。今日は皆さんの出だしが悪いようで私もいつもより遅く到着したのだけれど、作業をしている人はたったの一人だった。
 この人は大体において午前中で帰ってしまわれる方だけれど、二人だけだったので聞いてみた。「とても大きく拡大される機械とそうでない機械があるようですが・・・。」すると種が明かされた。レンズの長いものと短いものがあって、レンズキットを入れ替えればよいのだという。早速そんな機械を探し出してきてレンズキットを取り替えた。そいつはなかなか読みやすいのは良いんだけれど、小さくならないので今度は一頁を一覧することができなくてそれが不満だった。
 午後から隣には昨日隣に来たおじさんが座った。しばらく経って私が肩が凝ってしょうがないので自分でとんとんしていると、「根を詰めてやり過ぎじゃないの、ゆっくりしたら」というのだけれど、「もう時間がないんでねぇ」というとなんでだ、どこから来たんだと聞く。先に帰る彼は「Good luck!」といって帰って行った。
 Charles Cousensが最終的に解放された翌日の「The Daily Telegraph」の記事を見つけた。みんなして嬉しそうな顔をして写っている写真が印象的である。1946年7月23日のことで、従って新聞に載ったのは翌24日のことである。
 終戦の翌年にある心理学者が「日本軍の暴力性というのはどこから来たのか」という命題で新聞に投稿しているのを見つけた。どこだって軍隊というものは戦闘になると思いも掛けない行動に出るものだろうし、そして極限における人間性なんてものが保たれるわけなぞないのであって、私は人間という生き物に完璧性を求めようと思わないし、そんなことができるものではないと思ってはいる。だからこうした評論は好きではないのだけれど、時代によってこうした表現というのは随分変わるものだ。今だったらこんな題材を新聞に書くなんて考えられないだろう。
 この一週間、60年も前の新聞記事ばかりを見てきたのだけれど、不思議なことに「Sydney Morning Herald」の記事が一番わかりやすい英語で書かれていると思う。不思議なほどに差があるのがわかる。