ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

河野太郎

 彼のメルマガが先月28日から配信されてこない。で、連動しているブログを見たら、12月2日付でコメント欄を閉鎖するという書き込みだけがある。国籍法改正について河野太郎をターゲットにした書き込みでサーバーまで大変な状態だったらしい。
 日本人男性が父親である外国人女性との間に生まれた婚外子に対して認知によって日本国籍を付与するという考え方に対する反対意見がその意見の大勢を占めているようだ。曰く、詐称による日本国籍取得が暴力団による資金源になる、といった懸念を表明する意見がその根本にあるらしいけれど、現実には「嘘をついて日本に東南アジアから人が押し寄せるのは許せん」という意図のもとにある。
 そうすると調子扱いて東南アジアの女性に妊娠させて逃げてしまった日本人男性は許せるということになってしまわないとも限らない。そもそも問題の根底にはこちらの問題がそのまま放り出されているという点にある。大変に恥ずかしい話だ。
 根本にあるのは日本の国籍を得て、そう簡単に日本人になられてたまるか、という意識にあるのではないだろうか。それってどういう事なんだろう。これ以上人口が増えるのは暮らしにくくなるからいやだということだろうか?どこの国でも問題になったように労働のチャンスを外から来た人たちにとられちゃうという移民問題と同じような問題が起きるから嫌だということなんだろうか。でも、そこのところは日系人外国人に門戸を開けているんだし、研修・実習ビザという名目で外国人単純労働者を格安でこき使っているシステムが機能している状況下では説得力が全くない。
 日本は他国と大きく異なって外国人の帰化を前向きには受け入れない国だけれども、社会を巧く回すために必要となる役割の部分にその外国人を表門からではなくて裏門から入れて見て見ぬふりをしていて、目立たないような報酬によって社会を動かしている。しかし、対等な立場として対峙しようとしてはいない、そういう国であることは確かだろう。
 こんどの国籍法改正もそうなんだけれど、ひとりの「人間」として私たちの外国人に対する意識、見方、考え方というものを「人間」としてのその根本に立ち戻って考える場を提供するべきなんだろうなぁと思ったのだ。