ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

諏訪湖三日目

さすがに寒い

 明け方4時半頃に部屋の中が寒いのに気がついてエアコンを強くしてまた寝た。気がつくともう既に8時になっていて、カーテンを開けると外はうっすらと白い。天気予報が当たって明け方に雪になったらしい。しかし、もう朝日が当たっている。ひとっ風呂浴びて朝のバフェに行く。メニューはほぼ昨日と一緒。チェックアウトをして荷物を置いて出かける。

諏訪湖

 全く原田泰治の絵の雰囲気と離れたこの写真はなんだと思っておられる方もおられるかも知れないが、これがこの美術館に入った取っつきにある窓でこのフレームをはめた一幅の絵画と見ることができるのは、原田泰治の術中にはまってしまっているということであろうか。
 原田泰治美術館を観に行く。片倉館前の停留所から10時10分発の「スワンバス」に乗る。並んでいるうちに気がついたら10人ほどの乗客が集まってきていてびっくりした。数人の地元の方が諏訪日赤前で降りる。多分、こうして病院に行くのにも一日がかりなんだろうと想像する。原田泰治美術館前では私たちを入れて4人が降りた。建物の前の芝生が今朝の雪で白い。
 なんで原田泰治の美術館がここにあるのかと思ったら彼は諏訪市の出身なんだそうである。この地に建てられてもう早くも10年が経つのだそうだ。彼の画風のクリアーな色を見ていて多分そうだろうと思ったように、彼はアクリルペイントを使っているのだそうだ。今回は彼の絵を元に創られたキルト展が行われていた。彼の絵は山下清にも通じるような克明なタッチの連続だから、それをキルトにすることには気の遠くなるような時間がかかるだろうと容易に想像が出来るから、ちょっと期待。そして期待通りの見応えのある面白い展示になっている。多くのキルト作家は50代以上の方々で、5ヶ月も6ヶ月も掛けて制作しているようだ。写真で記録しておきたくなるが、残念ながら撮影は許されていなかった。
 館内で何本もの原田泰治に関係した映像が流れているが、10年前のさだまさしのあまりにも若いのに驚いたけれど、考えてみたら自分もこの10年であっという間に老けてしまっていたのだった。
 売店で原田の絵を80円切手にしたシートを売っていると聞いたので、私のお土産はこれ。

 バスの時間まではどう考えても1時間ほどあるので、湖畔を歩くことにする。鴨が大量に飛来していてマガモカルガモキンクロハジロ、バンの仲間なんかがゆらゆらしていたり、公園の芝生をひっくり返したりしている。(多分)ナナカマドの赤い実がジョギングロード沿いに並んでいて面白い景観を見せているのだけれど、中に黄色い実をつけている木があって、やや、と撮影に及ぶ。この道を歩いている人たちは殆ど初老の二人連れであって、この雰囲気を見ていると一人でこの時期のこのあたりに来たくはないなと思ってしまう。

昼飯は蕎麦

 八州の中ざる。それ程量があるように見えなかったけれど、私には充分だった。
 泊まっていた「紅屋」というホテルと片倉館の間くらいにある脇の道を昨日通ったときに奥まったところに「蕎麦割烹八州(やしま)」と書かれた看板を見つけていたので、今日の昼飯は無条件でそこにしようと決めていた。
 ガラガラと引き戸を開けて中に入るとすぐに4人席と8人ほど座れるテーブルがあるが、奥はどっと広くて上がり座敷である。なにしろまた膝が痛いのだから、入り口すぐの椅子席に座らせていただく。
 ざる一枚と中ざる、そして舞茸の天麩羅を注文。来てみると見た感じ、やや少ない印象を持つが、わが家ではこの量でちょうど良い。大ざるにしなくて良かった。蕎麦はしっかりしたやや太めでそばつゆはしっかりした出汁なので私の好きなもの。残念なことに舞茸と間違えてワカサギの天麩羅を持ってこられ、舞茸の天麩羅が後出しになってしまったけれど揚げたてで美味しかったから帳消し。
 ちょっと奥の方を覗いてみたら有名人が色紙にしたサインが何枚か貼られている。今はとっくに亡き「三島由紀夫」があったと思ったらその二枚ほど向こうに「市川房枝」が貼られていたり「新田次郎」があったりして実にまぁ、バラエティに富んでいて呉越同舟である。尤も新田次郎諏訪市の出身。

最後の風呂 帰京

 宿に戻ってから、直ちにタオルを携えて14Fの展望風呂に駆け上がる。3日間で都合9回目の風呂。なんと誰も入っていない。遙か諏訪湖全部を見晴らし、なおかつたったひとりで満喫する。
 バスは時間ちょっと前にやってきて、すぐに諏訪インターから高速にはいるのかと思ったら、インター前の釜飯の「おぎのや」に半時間ばかり駐まる。漬け物とお菓子をさんざん食べてしまって、お茶まで飲ましてもらったというのに買ったのは自販機の「おーいお茶」だというとんでもない客。
 さぁ、これから高速かと思ったらとんでもなくて、どんどん20号線を走り、茅野の街中に入って「有限会社丸井伊藤商店」という創業からもう既に百年は超えているという味噌のお店に入って中を見学する。お土産に小さな味噌を一袋戴く。わが家ではこれでもう充分となる。結局400円の漬け物なんかを不埒にも購入に及び、味噌には目もくれずバスに戻る。もう味噌なんて見たくもないというお客が7-8人いた模様で、ドライバーが中に行かなかったお客にもとお土産の味噌を配るが数が合わないのだという。面白いことになってきたぞと思うとドライバーはまた味噌屋に戻ってもらってきた。
 バスは今度こそ諏訪南から高速に乗るのかと思ったらいやいやとんでもない、どんどん20号線を走る。そのうち私はいぎたなく眠ってしまい、気がついたら高速を走っていた。一体全体どこから乗ったのだろう。小淵沢だろうか。左手に中央本線の青柳の駅を見て、右手に「富士見パノラマリゾート」のゲレンデを見たのは覚えている。帰着19時ちょうど。