ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

あっという間の出来事だ

 実は今日は自分の62回目の誕生日だ。この1年、あるいは2年間であっと驚くほどに老けた。髪の毛はとんでもないほどに失われ、肩の筋肉はそげ落ち、ケツは垂れ、自分の姿をガラスに映してみると信じられないほどの老けようである。アンチ・エイジングなんて言葉とは全く縁もゆかりもない状況を呈していて、これまで冗談交じりに「俺はもう後3-7年の寿命なんだから」といっていた言葉がまんざら冗談でもなさそうな具合に見えてきそうだ。
 ずいぶん前に死んだ明治の最後の世代だったうちの親父が今の私と同じ歳ぐらいの時に、やたらと鉛筆をとがらせてはそれで頭を血が出るほど掻いていたのを思い出すのだけれど、私も最近、そんな具合に頭が痒くなる時がある。加齢によって何か同じようなことが起きるのかも知れない。
 こんなことなら、オヤジがまだ生きていた頃、もっとよく観察しておけば良かったのかも知れない。そうすれば少しはましな考えも持ったかも知れない。
 彼と同じ失敗を犯したかも知れないなぁというのはやっぱり癇癪持ちがその癇癪を緩やかに拡げることができなくて、その辺で簡単に癇癪を落としてしまうところだろうか。彼は実に短気な男で、激情しやすいところを持っていたものだけれど、それが三人の子どもに結構共通して伝わっているかも知れない。今から考えるとあの5人家族は盛大に皆激しやすかったようだ。だから感動の嵐も呼ぶけれど、喧嘩にも成る。その喧嘩は他人から見るととんでもない「非人間的」な有様を呈しているらしい。それがつい様々なところで噴出する。だから余計に老けてきたように見えているのかも知れない。
 62年前に私がその癇癪持ちのオヤジと元小学校教師だったお袋の間に生まれた時はなにしろ戦争が終わってまだ2年だからものがなかったらしい。娘二人の後に生まれた男だったから、「それは大騒ぎだったの」と良くおふくろが、だからしっかりしろというような場面で必ずいった。
 会社の同僚が何人も集まって寄せ集めのアルコール(つまりどんなアルコールかわからん)で宴会をして、どこそこの誰々が私を抱いて落としそうになったとか、それは多分あの6畳間だったんだろうなぁと想像をしながら聴いていたものだ。
 絵に描いたようにセピア色になってしまった翌年の節句の鯉のぼりの写真があるが、それとて、ただの丸太を立て、その先端に貧弱な感じの鯉のぼりが一本だけ風に身をよじっている写真が今でも残っている。もちろん風車が乗っているはずもなく、吹き流しが泳いでいるのでもなく、ただただ、一本の鯉がよじれているだけである。それでも多分オヤジとお袋がどこかから探してきたんだろう。しかし、これは写真でしか見たことがなくて、物心ついてからは鍾馗様の人形と小さな兜を飾るだけだった。あの鯉のぼりはどこに行ってしまったのでしょうか、と聴いておけば良かった。
 この鍾馗様ももうどこに行ったのか皆目思い当たらないのだけれど、ずいぶんと古色蒼然としたものだったからひょっとすると戦後のバタバタでどこかの旧家から出たものかも知れない。ちゃんとした髭があるなかなか完成度の高い人形だったなぁと今になってようやくそう思う。