ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

戦争ごっこ

 私が小学校低学年まで暮らした地域はある会社の社宅、といっても当時のことだからおしなべて平屋、それも和室が6畳が二つに4.5畳と台所くらいのものが並んでいたようなところだった。岡の斜面を切り開いてあるものだからあっちもこっちも段々状になっていて、家の建っていないところだらけだった。そういうところは関東ローム層の赤土で、春先の風の強い日なんぞは土埃が舞う。しかし、正月前後の頃には凧揚げに最高だ。
 当時は下水工事のついでに忘れ去られていたのか、われわれが土管と呼んでいた今でいうヒューム管がころっと転がっていたりしたものだ。そんな辺りでガキどもが7-8人も集まると大体みんなで「グー・パー・ジャン」をして二手に分かれ、戦争ごっこに興じた。金のある奴は百連発という帯になった紙ロールに点々に火薬がついたものを「ぱん!ぱん!」とならす小さなブリキの拳銃を持っていたけれど、おおかたはそんなものはなくて、ゴム鉄砲やら、針金鉄砲や、しまいには棒きれを拾って構え、口で「バビュ〜ンッ!」と鳴らしていた。
 撃たれたら正直に「う〜ん」といってぽろっと拳銃もどきを落として倒れ、20とか30とかを数えないと生き返れなかった。その間に宝を取った方の勝ちである。私は小心者だから撃たれたら嘘をつけなくて、すぐに「う〜ん」と倒れる。しかし、ずるい奴が必ずいて、「撃たれてないもん!」という。それは学校の友達同士でやると頻発する。地域のガキだけでやっている時にそれをやると、段々信頼されなくなる。なんで、子ども心にその辺を心得てやれていたのかが今になってみるとかなり不思議だ。大人はすぐにその辺を察するし、今の子どももそれはできるのかも知れないけれど、あの頃の本当に幼かったガキがそんなことをすぐに察知していたのが面白い。
 私はいつでも味のない子どもだったなぁと思うけれど、それは大人になっても変わらない。何とも味のない爺だ。