教文館の二階に上がって新刊書を見る。一番面白かったのはこれ。
著者の
津野海太郎(本名?)は
植草甚一担当の編集者だったという。
植草甚一というあの爺さんは1908年の生まれだそうで、うちの死んだオヤジよりたかだか4年歳上なだけだったというのである。これには驚きぶったまげてしまった。まず驚いたのは私が大学を卒業した年の
植草甚一は今の私の年齢だという事実である。爺さんの割になんだか破天荒でいながらおかしいくらいの自由人だった。あの人がやることは、そして書くことはあの時点でのポップそのものだったといっても良いだろう。そのまま今の私を振り返ってみると、とてもポップとは言い難く、何倍かの速度で爺に向かって突進しているような気がする。これは当然、篭に入れてしまう。
次はこれだ。
朝日新書にしては分厚くて365頁もある。創刊1959年3月。休刊1992年5月。はっきり言っておこう。私が初めて手にしたのは多分1964年頃ではなかったかと思う。しかし、当初は全く理解できなかった。しかし、揺れる日本について行かなきゃならねぇなぁと思ったのではなかったか。きちんと振り返りたいと思った。
三冊目はこれだろう。
鶴見俊輔である。このブログをお読み戴いている方はおわかりかと思うけれど、私にとっては
鶴見俊輔、
保阪正康はとことんお付き合いしたいという人間である。しかし、定価を見て逡巡していた。これもひとえに「エコポイント」のおかげである。ポイントの
図書券を待った甲斐があったというべきか。