ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

クリスマスの過ごし方

 今週のお題は「クリスマスの過ごし方」なり。とても後ろめたい思いを持ちながら私は24日の夕方からの礼拝に連なるものであり、また、ここ10年は25日の朝からの礼拝に連なっている。何故、後ろめたいのか。敬虔でない昨今の事情による。ディナーに及ぶことなぞ殆どなく、それ以外の行事についてはなんということもない。静かに、静かに。
 何度も書くけれど、子どもの頃の三人の博士の役をちゃんとやらなかった頃から、クリスマスは悔悟の日でもあると言ったらいいだろう。
 クリスマスで想い出したんだけれど、30年前、米国の田舎で2ヶ月半の間、ホームステイしていたことがある。到着したのは12月の初旬で、その頃から各家庭ではクリスマスに向けて様々な準備が始まる。最初に滞在した家庭は私より若い夫婦とふたりの娘が暮らすどちらかというと恵まれた家庭だった。着くなり家を灯りで飾るんだという話で、旦那とふたりで家の周りに配線した。前年も使ったらしくて途中でいくつかの豆電球が切れていて、灯りがつかない。消えているものの電球を交換する。
 交換しても点かないことがある。新しいと思った電球が古いものだったり、初めから切れていたり。その時の私は有頂天になっていたのか、時差の影響が残っていたのか、馬鹿だったのか、電球との接点に何か付いているんじゃないかと思って指を突っ込んだ。その瞬間、バギッと音がしたように感じた。そんな音がするわけがない。そんなことだったらきっともっと大げさになっていたんだろう。あぁ、感電ってこんな簡単にするのか、と思った。クリスマス前になると毎年必ずこれを想い出す。
 この家では職場の社員を家に招いたパーティーがあったり、他の家に招かれて子どもたちと一緒にジンジャーブレッドを作ったり、ベル・コンサートに行ったり、クリスマス当日が来るまで様々な行事があって忙しい日々だった。
 残念ながら滞在した家庭は三つとももう既にあの街に暮らしておらず、その行方がわからない。