ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

泣く

 トヨタの社長が米国議会下院の公聴会に出席した。「My name is on every car」を聴いて、なるほど、その通りだなぁ、自分の名前が書かれているというのはどんな気分なものなのかなぁと思ったけれど、想像がつかない。議員側のプロモーションがあるからきついことをいって、「ほうらぁ、東洋の目の上のたんこぶをやっつけたぞ」という姿を地元に宣伝しなくてはならないという事情があることは分かるけれど、こういう状況を見るとコーケージャンが東アジア人を見る視点というものが100年前とあまり変わっていないんじゃないかという不安に駆られる。かつての日本の車をハンマーで叩き壊していた時代が一気によみがえる。
 米国の車メーカーが30年ほど前にいった言葉が忘れられない。それは「なんだかんだいっても人間が作っているんだから、どこかで巧くできなくてもしょうがないだろう」というものだ。あれから車作りの現場はかつてに較べたら嘘のように人間の技術に左右されることは最低限に減少されている。だから、逆に問題が起こるとしたらアッセンブリングの現場で起きるのではなくて、基本的な企画・設計時点で起きる可能性がある。だから問題が発生するとその影響は大きい。
 それにしても、いくら自社製品のディーラーの集まりだとはいえ、その一体感を強調するアドレス中に泣いちゃうリーダーというのはあの国で評価されるだろうか。如何にも東アジア的な様子であったといわれるだろうなぁ。
 トヨタの社長はマサチューセッツ州のBabson Collegeの卒業生だそうだけれど、その英語は純粋な日本人英語だった。どうして日本人は英語の発音が下手なんだろう。物まねが下手なのだろうか。確かに「L」と「R」の使い分け、「TH」の発音の難しさというのは元々その音の発音という習慣がないのはある。物まねはそれすらまねればいいのだ。そういう話をすると、必ず「通じりゃいいんだよ」という反応が返ってくる。居直りだと思う。自分が巧くできないことを認めるのではなくて、居直るのだ。広島市長の英語を聴いているとほうら、日本人だってこんなに巧い人もいるんだと思う。
 韓国人は巧い英語を話す人が多いと思う。この差はどこに原因があるんだろうか。