ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

預貯金元本課税

 今朝のテレビ朝日の「スーパーモーニング」で、消費税の前に考えなきゃならないのがあって、税増収を考えるために預貯金元本に対して課税する、という考えをどなたかがしていた。
 そうすればそういう不要不急の資産が株式市場や、外貨購入へ向けられて産業進行の大きな引き金になるだろうし、さもなければ消費に向けられることを期待もできるだろうというのである。
 この場合もそうなのだけれど、高齢者の資産というエポックが語られる時に、多くの場合、不当にも高齢者が多くの資産を抱え込んでいる、という扱いから語られることが多い。それについては私もかつて富の偏在を再分配する術を考えるべきだと思っていた。
 しかし、その前にするべきことがある。
 かつて名古屋のふたご高齢者でテレビに良く出ておられた金さん・銀さんが自治体からお祝い金をいただいた時に「どう使いますか」と聞かれて「老後に貯蓄します」と答えた話を何度も書いた。
 つまり、この国の高齢者たちは最後にどうしても他人に介護をして貰うしかなくなるまでにどれくらいの生活資金が必要で、いざそんな状況になった時に、どれほどの費用がかかるのかがわからないという状況に暮らしているのだ。だから、どんなに抱え込んでも足りないかも知れないという恐怖感に駆られている。
 これまで何度も書いているように、もし、この国の高齢者介護システムが、最後には持っている資産をある絶対額を残してすべてを国庫に入れるものとして、その代わりにどんなことがあっても(認知症に陥ろうとも)国家の社会保障システムでカバーされるとしたらそんな活用されない資産なるものはどんどん支出されていくだろう。
 そうした保証、システムを作ることをせずに、闇雲に資産を取り上げる、あるいは資産に課税していくというのは憲法に保障された私有財産保全を犯すことになる。
 今や、特別養護老人ホームに入所を希望している人の待機数は全国で42万人に達していると云われている。特養に入ることのできない人のためには有料老人ホームがあり、それだけの資産を抱えている人たちはこっちに入ればよい、ということになる。ところがこうした施設は、必ず契約を全うできるだけの経営力が継続しているのか、契約が必ず正当に遂行されているのか、認知症となってからでも生活をしていくことが受けられているのか、といった重要な問題点を抱えている。
 例えば、契約に謳われているだけのレベルの食事、施設稼働、人材の確保、育成、運営が本当にできるのか、やっているのかという点である。ある意味、この点について云えば今の厚労行政は野放しに近い。
 どうも、官と民の間には胡散臭さが漂う。それを払拭するのは業界の力であり、それがこの種の分野を司る経営の矜持だろうと思う。