ほぼ足りてまだ欲 その先

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検察審査会

 もう半日で語り尽くされた感のある、今回の小沢一郎陸山会事件の強制起訴。「捜査のベテランである検察官が繰り返し捜査して証拠を見付けられなくて不起訴になったものを、素人集団である審査会がひっくり返すのはどうか」という意見を小沢擁護派から見るけれど、これはまったくの指摘間違い。
 検察審査会とはプロの眼を持ってしても正しい判断かどうかまだ吟味が足りていないのではないか、というチェックポイントとして設けられるシステムは必要だという判断で設置されているのであって、それなりに意味がある。
 しかし、その審査のプロセスが全く公開されていないという点が大きな問題なんだということを指摘しなくてはならない。今回のこの事件が不起訴になった理由は、どう見ても起訴する事由が見あたらない、という点にある。強制起訴ということになったのだからこれで裁判を進め、その過程で明らかになることだろう。しかし、この裁判で問題にならなくてはならないのは、小沢一郎政治団体の会計処理の問題だけではなくて、これに伴って逮捕起訴された大久保秘書、あるいは石川衆議院議員の容疑であり、彼等の容疑について行われてきた検察の捜査手法でなくてはならない。
 今回の検察審議会が開かれることになった要望を出した市民団体がどの様なメンバーによって構成されているのか、検察審議会がどの様な審議を踏まえて、どの様に議決したのかという中身をマスコミはこれまで明らかにしていなかったのだけれど、これにはどの様な意味があるのだろうか。先の指摘が本来的に当てられなくてはならないのはここにある。つまり、「ある種」の意図を持った集団がフェアネスのために設けられたチェックポイントを悪用することを防ぐのは市民の声であり、それを広く知らしめるためにマスコミが機能しなければならないはずなのである。
 小沢一郎陸山会については4億円、土地、秘書といった単語でこれまで断片的に人びとの頭の中にインプットされ、これまでの政界がらみの黒い話として取りざたされるキーワードとしてはこれだけで充分で、人びとは(私も含めて)「あ、小沢一郎はきっとまだまだなにかを隠しているに相違ない、悪い奴に相違ない、田中角栄という名前も出てくるし、なにしろあの顔つきが悪いもの」という先入観にどっぷりつけられてしまった。それを後押ししてきたのはマスコミだ。
 今回の前田検事についてもそうだけれど、大久保秘書、石川議員の捜査過程については検察は思い込ませる洗脳情報をどんどんマスコミに流し続けてきた。マスコミはそれを鵜呑みにして、あるいは意図的に鵜呑みを装って「悪者」小沢一郎像を創り上げてきた。
 そこに気づくことなく、多くの人たちが、マスコミの意図、それはまごうことなく、検察の意図であり、ある種の政治的目的を持つ集団の意図であるのだけれど、これにものの見事に嵌められていることを指摘し続けなくてはならない。
 私流にいえば、小沢一郎の顔つきや態度は好きじゃないけれど、意図的に公的システムを歪める行為は許されないということだ。それはまさにアンフェアネスである。汚いぞ。<追記>12:24
 次第にいろいろなことがわかってきた。議決されたのは14日だけれど、検査審議会が動いてたった一週間で出された結論だったということ。検察審議会というのはクジに当たった国民の中から面接によって選ばれた11名で構成されているのだそうで、その面接の判断基準がどうなっているのかわからないということ(つまり当然検察に有利なことになる人選になる可能性が存在するということ)。議論の中に当初の検察による起訴検討対象にない項目が含まれていること。