ほぼ足りてまだ欲 その先

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叙勲

 秋の叙勲という奴が発表になった。前に書いたけれど、きっと今朝、各企業の総務や秘書室なんてところは関係者へのお祝いの手配が終わって、こぼれた人がいないかチェックしているというところだろうし、自社に対象者が出たところはマスコミの対応に追われていることだろう。
 紫綬褒章の22人の中に田中裕子と風間杜夫桂文珍がいるんだそうだ。田中裕子といえばあの沢田研二のかみさんだよ。若干55歳である。こういうタイプの人が貰うのは珍しいんじゃないだろうか。沢田研二はこんな時、どんなことをいうんだろうか。ジュリーwith The Wild Onesもそろそろツアーの終わりになるんだろうけれど、一体ステージで話すんだろうか。
 文珍が嬉しそうにテレビのインタビューで、おじさんがひとりですべての森羅万象について語るわけで、というようなことをいっていたけれど、私は落語というものは落語家がすべてを表現できて成り立っているものではないのだと思っている。というのは、聴いている側がどれほどの森羅万象を体験してきているか、あるいは体験していないまでも、それを想像するだけの要素を持っているのか、という点もまたそれ以上に重要な要素なんだということなのではないだろうかと思う。これは小説の世界でもそうで、だからこそ、これが映画やテレビドラマのような映像になった時に自分の想像した世界とのギャップに違和感を持つことになるのだろう。
 だから、文珍の落語を聞いていても私が思い描いている世界と、隣に座って聴いている人が描く世界とは同じだとは限らないのだ。だから、私が許すことのできない彼の新作「老婆の休日」を彼のあたり藝だという人もいるわけだ。彼はついこの前(といっても私のことだから、何ヶ月も前のことだけれど)テレビでこの「老婆の休日」を未だに得意げに高座にかけていた。この超高齢化社会であの話を平然と嬉しそうにかけるような芸人に勲章をやろうというのがこの国の文化であり、ま、この国の勲章なんてものはこんな程度のものなのである。
 それにしても、文系研究者にはなかなか勲章なんてものは出ないらしいな。