私は大学生というステイタスでいる時間を過去に4年間過ごし、その30年後にやはり5年間過ごした。前半の4年間は二十歳前後の4年間であるけれど、何かを勉強したくて大学に行ったのかといったら、まったくそんなことはなくて、どうせ会社勤めでもして収入を得るために毎日を費やすことになるのだから、その前に遊びたいだけ遊んでおこうという、実に主体性のない、しかも目的意識も何もない日々を費やしたのだ。あたかもサークルのメンバーに遭遇するために行っていたようなもので、試験をクリアーすればいいとしか思っていなかった。つまり学生ごっこをしていただけだ。
英語を用いて何かを研究する環境を作り出せば良かったのに、全くそうした意識がなかったのが悔やまれる。
40代の後半に日々の閉塞感に堪らなくなってしまって、遂に爆発して仕事を辞めて大学に入り直した。多分あのままいたら私は精神を病んでいたことだろうと思うし、あの時点で既に多少危なかったのかも知れない。そこで決断ができたことは誠に幸いだった。
その時に一年間だけ在籍したのは略称ICUと呼ばれ、自嘲気味に病院の集中治療室であるICUだなんぞといわれいる国際基督教大学だった。どうして一年間だけだったか、という点についてはいくつかの理由がある。ひとつには授業料の高さがあり、ひとつには焦っていたということがある。
授業料が高いことには理由がある。あそこの大学には他の大学では別に目新しくない大きな階段教室というのは、当時たったひとつしかなかった。私は一年生だったからそこでの授業があって、体育理論と確かノートテイキングの授業だったのではなかったか。
他の教室では精々広くてぎちぎちに学生が椅子を並べても100名位しか入れない。つまり学生と教師との間が必然的に近くなる。一年生は年がら年中英語の授業をやっていて、そのクラスは24名しかいない。1対24の授業である。それだけ教員が多く在籍しているということだ。いくら、語学の非常勤教師だといってもあれだけの数を抱えている学校はそうはない。しかも、その授業の中身は個々の教師の質や考えに任されているわけではなくて、確固たるプログラムの上に成り立っているのですべてが連動している。ただ、教師の側からいったら面白いのかどうかはわからない。自分のやりたいようにやればよいというわけではないからだ。
図書館も普通の大学のそれとは大きく異なっていた。まず開館時間が長かった。ほぼすべてが開架で、誰でもがすべての資料にアクセスができるのだった。返却が遅れると罰金を取られたけれど、貸出冊数も多く、貸出期間も長い。そしてリファランスにその時分類されている資料は複数存在した。
そのあり方が如何に学生に利用しやすく運営するか、という視点から考えられているところが厳然と違うところである。多くの大学の図書館は、如何に学生から所蔵資料を守るか、という視点から運営が考えられている。つまり性悪説から成り立っている。
だから、授業料が高くても、なぜ高いかが明白だった。
学生の間に存在する雰囲気は、ありがちな「適当にやっておきゃ良いや」ではなくて、やる気で対応するという前向きな姿勢だった。50代の私にとっては毎日毎日が必死に食らいついて行かなくてはこなせない授業の連続だった。一番難しかったのは日々課せられるエッセーだっただろうか。英文の論評を読んだ経験はたくさんあっても、その書き方を理論的に学んだことは一度もなかった。書こうとするとどうしても日本的な書き方になってしまう。今でも、ものを書くのは下手だけれど。
それでも、2年生に進学する時には私はすでに転校することを決めていた。それは最初の4年間を過ごした学校に新たに学部ができていて、3年編入することができるということと、自分が興味を持っている分野を直ぐさま焦点を当てて学ぶことができそうだったからである。
ICUの場合はまさにリベラル・アーツの大学教育を実施していたから、多分あのままであれば、4年間の学部生活を送っても、それから2年間、若しくは4年間を費やさないとならないのではないかという考えにとりつかれたからでもある。
結果的には転校してから学部に2年、院に2年間在籍したのではあるからどっちがどうだったかは今では較べようがない。
大学は学生達のそれぞれの意識が非常に重要であることは明白で、私にとっての最初の4年間が何をしにいっていたのか、全く無目的であり、あれからずっと付き合っている数人の友だちとの絆のきっかけになったことはとても重要なのだけれど、学ぶ、あるいは研究するという意味では私にとって殆ど意味がなかった。
しかし、のちの5年間の学生の時期を振り返ってみると、ある意味で「大学生は勉強しないのではなく、勉強する環境を大学が提供していない側面がある」としているこちらの方の意見に大いに賛成するものである。
点数を稼ぐ技術の習得に血道を上げないとそうした環境に身を置くことのできない日本の高等教育制度をどうしたら変えていくことができるのか、という点については未だにじっくり考えたことがない。考えて妙案が出るかどうかについての自信もない。