ほぼ足りてまだ欲 その先

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皆川達夫

FaceBookにこんなことを書いた。

 3月29日にNHKラジオ第一の「音楽の泉」で皆川達夫先生が最終回だといっていると、ここに書いたんですが、その皆川先生、その放送の三週間後になくなったそうです。死因:老衰と報道されております。92歳です。今では大層長命と云うほどではありませんけれど、最後まで喋りは矍鑠(かくしゃく)としておられましたねぇ。最後の放送の時に「歳も歳ですから」と仰っておられました。
 ほとんど一対一でお話しすることはありませんでしたけれど、一応一年間は担任でしたからねぇ。それに二年生の時には一般教養で音楽を履修していましたから、毎週四号館四階の音楽教室で出欠袋を提出しておりましたので(何度かサボりましたが)間近に見てはおりました。
 皆川先生がまだ東大の学生の時に教鞭を執ったという,要するに皆川先生のそのまた先生のご夫妻に、伊豆へ合宿へ行く電車の中でご一緒したことがありました。サークルの合宿なんです、というと皆川達夫という先生がいるでしょ?と聞かれ、サークルの顧問です、というと、懐かしそうにされていました。「彼はご実家が裕福でおられるから、原譜を入手されたりして、恵まれていますねぇ」と仰っていたのが忘れられません。あの方はいったいどなただったのでしょう。まさか辻荘一先生じゃないですよねぇ?!!
 皆川先生は府立八中-旧制東京府立高等学校高等科-東大ですから、勉強おできになったんですねぇ。

 私はあんまり有名人の訃報についてちゃんとは書かない。ジャッキー吉川も同じ19日に孤独死しているけれど、彼とは一面識もないし、親しみもないから、あまり感慨もない。
 いや、そんなことをいったら皆川先生だって、上に書いたように一対一で話したことがあるわけでもないし、ましてや皆川先生は私のことを認識していなかったし、親しみはほとんどない。私が先生を見たら、あぁ、皆川先生だとわかる程度である。でも、これだけ有名人にちょっとなりとも接点があったというのは、誰かに教えてあげてみたくなる気持ちはある。ねぇねぇ、あの皆川って先生さ、担任教師だったことがあるんだ、って。だからなんだってこともない。でもそういう人間なんだ。

 あの先生は出欠にうるさかった。それだけで合否を決めたからだ。グランドピアノと、大きなステレオ装置が準備された、学生が優に100人ははいるだろうという教室で、90分のロンド形式とはなにか、みたいな授業があって、レコードを聴かせてくれる。「ここで主旋律がどうたらこうたら・・」と。それではといってゆっくり一枚のレコードを聴かせてくれるのだけれど、二年生の必修選択だったかと思う授業なので、ほとんどの学生は聴いちゃいない。レコードがかかっている間、前の学生の背中に隠して文庫本なんぞを読んでいると、後ろから忍び寄って取り上げちゃう。授業の最後に「本日は丁度読みたいと思っていた、何々という本と何々という雑誌を入手しました、ありがとう」といって見せしめにする。授業にその大教室に入る時に、箱の中から自分の出欠袋を取り出す。その時に、サボっている友達の分も取り出す。で、授業が終わった時に、教卓に自分の出欠袋を提出するのだけれど、友達の分も重ねて出しちゃう。先生はそれを鋭く追求する。「両方とも欠席にするぞ!」といったかどうかは記憶にないけれど、見張っていたことは覚えている。なかなか代返ができないような仕組みになっている。
 先生はルックスも格好が良い。鼻筋がすっと通っていて、オールバックにした髪の毛もオシャレで、イメージとしていつもダブルの背広だった。下校時には、小脇に何冊かの本を抱え、数人の女子学生に囲まれて駅に向かって歩いて行く姿を何度も見た。グリークラブの指揮者を長らく務めておられたようだ。グリーの先輩が良く先生のことをいっておられた。
 ウィキペディアを見ると辻壮一という先生が皆川達夫先生をあの大学に引っ張ってこられたようだ。