ほぼ足りてまだ欲 その先

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民間

 戦争中に慰安婦に従事していた人たちは軍が強制的に連れてきた訳じゃないんだ、という主張を良く聞く。そうした主張をする人は「自ら仕事として選択してきた結果なんだ」という主張も良くする。つまり自己責任なんであって、軍が軍属として女を連れていた訳じゃないんだ、だから従軍なんてものはあり得ないんだという。
 いくら何でも現場だってバカじゃないから、そんな形を取るわけがない。しかし、実質的にどうか、という観点で話されなくてはならないのだろう。日本の今までの主張はすべての戦争によって引き起こされた事象に関してはあの時の条約に「これ以上の賠償請求はしない」ということだったのだからもう終わりだ、というものであり、ここから逸脱するとどこまで何を請求されるか判らないから、飽くまでも死守するというスタンスなんだなと理解している。
 何事もそうだけれど、やられた方は良く憶えているし、いつまでも忘れない。やってしまった方はそれを思い出すといつまでも自責の念に駆られるから、できるだけ思い出さないようにしていて、そのうちに記憶の倉庫の奥深くにしまい込まれていて、そう簡単には取り出すことさえ困難な状況になっていく。
 そうこうしているうちにあの時の証人は口をつぐんだまま、どんどんと寿命を全うして、しまいにはそれを証言する人すら見あたらなくなる。それを待っているんだろうなと思える。しかし、記録は残る。こういう時代になると、その記録は永久に残る。
 日本が何をしたのかを類推するには終戦直後のRAAのことを思い出せば良い。あんなものを直ぐに組織しようとしてあれだけの金をあの時期に右から左にすることができたのは、自分達がやってきたことを考えたからに相違ない。自分が相手にやったように、相手も自分達にやってくると予想するのが普通だもの。