今ではしきりにミャンマーと呼んでいるようだけれど、それは軍事政権ができてから軍事政権が国外表記をその様に変えたもので、日本政府は軍事政権に直ぐさま呼応して、はっきりいうと擦り寄って直ぐにそれを取り入れていた。英語では「バァーマ」と発音していた。私はこれが軍事政権によって変えられたということを知らずに、地元の祭に遊びに来ていたビルマ人にどこから来たのかと訊ね、彼が「Berma」と答えた時に「Myanmar!」と知ったかぶりで答えたら、頑なに彼が「Berma」だ、と答えたので、何か大きな理由があるんだとわかった。もう10数年以上昔のことだったと思う。
軍事政権以前には多くの国民がフィリピンの人たちと同じように良く海外に出稼ぎにでていたので出逢ったことがある。その軍事政権がここに来て驚くような急展開で民主化していこうとしているかの如く見えるようになってきた。これはなにかといったらあからさまに外国からの援助、外国企業からの投資をもとにした経済復興を計ろうとしているということだろう。
日本の各企業にとってもビルマの半ば鎖国状態が解かれ、進出が可能になれば中国の次の次の生産拠点として魅力があるだろうし、何よりも新しい市場の開放に繋がるわけだから、鵜の目鷹の目である。
「早くアウンサンスーチーがどうにかなってくれると良いんだけれど」といっていた日本の元外務官僚の言葉を思い出す。その国の立場に立って考えられないことになるのだろうか。