ほぼ足りてまだ欲 その先

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今週のお題「クリスマス」

 自分のクリスマスの想い出はもう既に書いてしまったので、クリスマスと聴いて何を思うのかということにしよう。
 日本では一体いつからこのクリスマスという行事というか一日が話題になっていたのだろうか。商売のキャンペーンとしては随分早くから話題になっていたみたいで、新聞の宣伝にも見受けられるというから、まぁ、いってみれば昨今のハロウィンと同じようなものだろう。だったらイースターも商店のキャンペーンに話題になぜならないのかが不思議だ。キリスト教の行事からいったらキリストが生まれた日よりはキリストが復活した日の方がなんぼか重要だと思われるというのに。それはひょっとするとイースター立春のあとの満月の次の日曜日というような毎年日付が一定しないというところに理由があるのかも知れない。なにしろクリスマスといったら12月25日と決まったもので、毎年同じ日だ。その上、子どもたちは学校が休みになる。そこに持ってきて大正天皇がこの日になくなったから余計加速したのかも知れないけれど、あの時代に天皇が死んだ日をクリスマスだといって商戦に利用したのは如何なものかとも思うけれどねぇ。
 それにイースターは桜の時期と重なっているだろうから、商売としてはキリストが処刑されて復活した、つまりなぜか生き返ったというのは桜の時期に相応しい響きがないんだろうなぁ。
 私が子どもの頃に、つまり戦後すぐだけれど、あの頃にはクリスマスはもう普通にキャバレーなんかでは大騒ぎされるようになっていたはずで、きらきらした三角帽子を被ったままおやじが帰ってきたという記憶がある。クリスマスというのは大人が酔っぱらう日の如くだった。あれは多分に進駐軍がやってきてからのことなんだろう。しかし、戦前にはそんな風習というのはあったのだろうか。少なくともキリスト教の布教のために作られた学校関係では意識されていたはずだし、もちろん教会があったのだから何かしらの行事は行われていたはずだ。
 もう今では日本人には完全に定着していて、クリスマスは一義的には子どもたちのためにあるといっても良い。その次は若者のためにある様に見える。もうおっさん達のためのものではなくなったことは確かだ。
 イエス・キリストが宿の厩の飼い葉桶の中に置かれたというのはよく知られている。さぞかしチクチクしたんだろうなぁ。昔は虐げられていたからあんなところで産まれたのかと思っていた。
 簡単に「Merry Christmas」といっているけれど、それはキリストが生まれて良かったね、といっているということになるわけだけれど、総人口のたった1%しかキリスト教徒がいない日本でこんなにたくさんの人たちがキリストの誕生をこうして言葉にしてお祝いしているというのは信じられない状況だ。でも、これは多分日本だけのことではないな。下手をしたらイスラムの国でもこの行事は知られているのではないだろうか。ユダヤ教の人たちはどうしているのだろう。