ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 昨日午後の「一天俄にかき曇る」様が尋常ではなく、あっという間に空が曇り、茶色に霞み、1kmも離れていないビルが見えなくなった時には思わず窓に駆け寄り、空をただただ見つめるしか手がなかった。それにしても、人間は本当に自然には無力で、ただただ「どうしたんだろう」と云って見つめるしかない、実にちっぽけなものであることを実感する。
 あの震災の時も、テレビの画面を通してではあったけれど、ただただ、あれよあれよと見つめていただけだった。あれからもう、いやまだ2年だ。この2年間にどんなことが起きたのかというと、ただただ事態は進展せず、福島第一原発の危機は全く解消されることもなく、この国はタイトロープの上にぶるんぶるんと震え続けている。それにも拘わらず、「景気は回復しつつある」と主張することに専念するニュースが中心になっている。
 ただ、昨日から今日にかけてはあの日を中心にしたテレビ画面が流れる。それがいつまで続くかといったらまた明日からは「変わらぬ日常」を印象づけるものなのだろうか。

 そんな荒れ気味の天候の中、親戚のおばさんの白寿のお祝いの宴が開かれた。昨年末までは元気でつれあいの実家の店にも出ていたのだから、元気な人はいつまでも元気なのだ。その元気がいけなかったというか、今年の正月、まだ松の内に近所の人混みで有名になるお寺にお参りして人のしりについて2時間ほども歩いたそうで、それ以降すっかり身体が疲れちゃったという。今月中には埼玉に住んでいる長男の家に引っ越して同居するという。これまで独り住まいだったということが全く元気だったことの証明だけれど、よくぞまぁ、こんなにしゃっきりとこの歳まで来たものだと、80歳近い郷里の甥っ子や姪っ子達が舌を巻く。72歳の長男が「こっちが先に逝っちゃいそうだよ」というくらいだ。
 みんながあやかりたいと口を揃える。

 夕方からは大学院の時におつきあいを戴いていた友達数人と久しぶりに呑み且つ駄弁る。若者たちと話すとその度に刺激を受ける。私と同年齢の、今年退職する先生の、本棚がガランと空っぽになった研究室で最後のゼミがあったのだそうだ。
 途中から隣にやってきた酔っぱらった若者たちの放歌高吟に難儀をする。やっぱり今でも放歌高吟という言葉が当てはまる場面があるのだった。