先日、東京国際フォーラムの「東京ジャズ」にTony Bennettが来日して公演したんだそうで、少なくとも私が知っている人が二人、この公演を見に行っていた。そして二人が二人とも帰ってきて「泣いた」というのである。ジャズの歌を聴いて「泣く」のである。この「泣く」とはどういうことなのだろうか。「87歳になるイタリア系アメリカ人が歌う」唄に感動する、ということなのだろうか。そんな歳の歌手だからもう二度と見ることができないだろうから、あぁ、もったいなやと感動するのだろうか。22曲歌ったのだそうだ。私がそこにいたらやっぱり泣いただろうか、それとも盗もうと瞬きもせずに見つめただろうか。
このときのサイドメン:Antonia Bennett(vo)、 Lee Musiker(MD,p)、 Marshall Wood(b)、 Gray Sargent(g)、 そしてHarold Jones(ds)。Antoniaはトニー・ベネットの娘。今まで彼女の存在を知らなかった。Tony Bennettは本名をAnthony Dominick Benedettoというんだそうだ。娘を除いてバックのメンバーはDuetと同じメンバーだ。
Tony Bennettはかつてコケイン中毒だった。ロックがアメリカの音楽シーンを席捲していた時代、ジャズ・ヴォーカルは殆ど人気がなかった。かつて「I Left My Heart In San Francisco」を大ヒットさせてシナトラのあとはトニー・ベネットしかいないといわれていたにも関わらず、ジャズ・ヴォーカルは居場所がなかった。それを息を吹き返してきたのは何よりも息子が奮闘したからだ。驚く親子関係ではないか。
20代の時からあの歌を唄ってきた私としては彼の「Unplugged」は感嘆であった。それがみるみるうちに面白いアルバムが出てきた。
知人の在サンフランシスコのピアニスト、長部正太が初めてのCD「Happy Coat」を録音した時にベースを弾いたのが今はなきRay Brownで、ドラムスが今回のバックでずっとDuetを叩いている達人、Harold Jonesだった。彼はいうまでもないがまさにマエストロ。
Ray Brownが他界したあと、長部正太が来日したときにはHarold JonesとベースにJim Hughartを迎えていた。