ほぼ足りてまだ欲 その先

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「証言私の昭和史」-2

 「鳴った、鳴った、サイレン」

 いやいや、この歳になって初めて知るということは数限りなくあるわけで、そんなことをひとつひとつ取り上げていたら、それこそ飯を食っている暇さえなくなりますが(飯を食いながらまた知らなかったことにぶち当たったりしますよねぇ)、またまたびっくり。
 昭和8年12月23日に今の天皇、つまり今上天皇が生まれておりますねぇ。つまり、今年の誕生日で今上天皇は満82歳になられるわけでございます。
 この時は世を挙げて万歳、万歳で、旗行列、提灯行列だったそうです。その時作られた歌が冒頭の歌です。北原白秋作詞中山晋平作曲。
 それまで第一皇女・照宮成子内親王東久邇宮盛厚王に嫁入り後、戦後の皇室離脱。「私の秘密」に出たことがあるとウィッキペディア。)、第二皇女・久宮祐子内親王(1927年に生まれるも半年後に死去)、第三皇女・孝宮和子内親王(鷹司和子)、第四皇女・順宮厚子内親王(旧岡山藩主の末裔、池田に嫁ぎ池田厚子)と女児が続いた結果の男子出生だったから、そりゃもう大変! ま、そのあと火星ちゃん、島津貴子さんと続くわけですね。
 それだけではない。生まれながらの皇太子というのは近代皇室(といってもほんの数代ですが)にとっては彼が初めてだというのですよ。えっ、どういうこと?と思いましたら、明治天皇はお母さんは中山慶子という女官、つまり側室ですし、大正天皇柳原愛子といって柳原白蓮のおばさんにあたる女官がお母さん。 え、でも、昭和天皇のお母さんは九条節子、すなわち後の貞明皇后だから、最初から皇太子だったんじゃないの?どういうことなんだろうか。
 これはこういうことです。昭和天皇が生まれたときはまだ明治天皇の御代。1901年(明治34年)です。だから大正天皇がまだ皇太子だったわけで、昭和天皇が生まれたときはいわゆる「皇太孫」だったのですね。しかし、今上天皇が生まれたときはまっこと皇太子の誕生なんですね。なぁるほど!