辺野古移設「急がば回れ」 - 国、訴訟一本化へ沖縄県と和解 仕切り直しに「勝算」、米も理解 2016/3/12付日本経済新聞 朝刊
沖縄県の米軍普天間基地(宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡る訴訟で国と県の和解が4日に成立した。最短で2022年度を目指していた移設完了時期が遅れる可能性は高まる。それでも和解を選んだ背景には普天間移設の実現に向けた安倍晋三首相の「急がば回れ」の判断と、それを認めざるを得ないオバマ米政権の姿があった。
1日午後、米国の首都ワシントン。全米の注目が大統領選の候補指名争いの天王山となる「スーパーチューズデー」に集まるなか、訪米していた谷内正太郎・国家安全保障局長が静まりかえったホワイトハウスの門をくぐった。
訪米し根回し
首相の意を受けた谷内氏が訪ねたのはオバマ大統領の側近、ライス大統領補佐官(国家安全保障担当)だ。ワシントンに駐在する大使と会わないことで有名なライス氏は、谷内氏とはこれまでも何度か面会している。
「ヤチサン」。ライス氏にこう迎えられた谷内氏は日本外交の多岐にわたる課題を説明した。核・ミサイル開発を強行する北朝鮮や南シナ海で海洋進出を活発にする中国、そしてウクライナ危機をあおるロシアへの対応だ。その中に普天間問題があった。
この会談で谷内氏は日本政府が工事を中断し、沖縄県側と再協議する考え方にも触れ、取り得る選択肢について根回しした。ライス氏は谷内氏の話を黙って聞いた。米側として首相の判断を尊重する合図だった。
米側には進まない普天間問題へのいらだちと不満がたまっている。それでもかつて移設先を「できれば国外、最低でも沖縄県外」と主張した民主党の鳩山由紀夫首相の時のような日米対立の構図はなんとしても避けなければならない。
1月末に福岡高裁那覇支部の和解案が示されたとき、首相や菅義偉官房長官らは慎重だった。移設工事の中断は反対派を勢いづかせる恐れがある。しかし対応を協議する過程で「手続き論で最高裁まで争って万が一負けたら振り出しに戻る」との懸念も膨らんだ。政府が和解案の受け入れを本格検討し始めたのは2月下旬に入ってからだ。
「和解勧告を受け入れる。『急がば回れ』でいこう。米国の理解も得た」。首相は3月4日昼、官邸に中谷元・防衛相や岸田文雄外相ら関係閣僚を集めて告げた。
和解を受け入れる決断に際して首相がこだわった言葉は「不可逆性」だ。昨年末の慰安婦問題を巡る日韓合意で用いたこの言葉を使い、再び訴訟合戦にならないよう法務省に指示した。
国と県の和解で3つの訴訟は取り下げられ、沖縄県の翁長雄志知事による埋め立て承認取り消しの違法性を争う訴訟にいずれ一本化される。和解案は「新たな訴訟の結果が出たら双方が従う」というのが合意の前提だ。
違法性を確認できれば、国はその後、堂々と埋め立て工事を進めることができる。県は工事阻止に向けた他の法的手段には訴えにくくなるとの読みもあった。
見えぬ返還時期
問題は国が違法確認訴訟に勝てるかどうか。菅氏は法務省幹部らと協議し「勝てる」と判断した。最高裁判決による決着まで約1年を要するとみられる。菅氏らの報告を踏まえ首相は4日午前、最終的に決断した。「不可逆性を担保できるなら、それでいこう」
首相はその日に会談した翁長氏に「沖縄県民の気持ちは理解している。安全保障上の問題も無視できない」と呼びかけたが、翁長氏の表情は固いままだった。国と県の対立構図はなお根深い。
「米軍はよき隣人でありたい。日米安保が来世紀への永続的な同盟の一助となることを希望する」。1996年4月12日。橋本龍太郎首相と普天間全面返還で合意したモンデール駐日米大使は共同記者会見で、こう力説した。当時、日米が合意した返還の時期は「5〜7年以内」。来月でその合意から20年を過ぎる。
中国の台頭などアジアの安全保障環境は激変した。沖縄の地政学的な重要度も増している。今回の和解で政府と県の交渉は仕切り直しになるが、その核心である全面返還の時期はまだわからない。(島田学、ワシントン=吉野直也)