ほぼ足りてまだ欲 その先

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伊勢佐木町

f:id:nsw2072:20190131214204j:plain:w360:left というわけで、何年ぶりなのか、もう思い出せない伊勢佐木町に足を運んだ。

 たまたま、午前中、新宿西口のビルで保阪正康の「平成の終わりに 平成の天皇ご夫妻」という講演があった。むしろ、明治以降の4人の天皇についての総括を皮切りに最後は次の天皇の世はどのようなものになり得るのかというところにまで話が及んだ。

 保阪正康は北海道八雲の出身で、今年は北海道立文学館で8月から三ヶ月間「保阪正康の仕事展」のようなものが開かれるんだそうだ。見て見たい気がする。今日はいつものレクチャーとは異なる単発の会だったが、いつもの会への出席者はわずかだったようで、見慣れない女性が何人か来られていた。


 で、新宿へ行ったんだから、湘南ライナーって奴に乗ってみたかった。生まれて初めてだ。新宿の次が渋谷、恵比寿、大崎と来て次が武蔵小杉なのに驚いていたら、その次がなんと横浜でおよそ30分である。こりゃ早い。引退すると途端に行動範囲が狭くなるから、こういうことに疎くなる。乗ったことのない電車はいくらでもありそうだ。


 横浜から根岸線で関内に出る。昔は桜木町から伊勢佐木町へは歩いて行った。まわりは米軍に接収されていて羽目板で目隠しがしてあった。そこで銭亀をたらいに入れて売っていて、親にねだって買ってもらったことがあったのを思いだした。


 伊勢佐木町はもう既にきらびやかさを失っていた。両側に並んでいる店の多くはチェーン系の食い物やばかりで、あの頃の博雅のような店はもはや皆無だ。



f:id:nsw2072:20190131214318j:plain:w360:right 不二家の手前に有隣堂本店が建っている。生まれて初めて入った有隣堂は木造の、確か三階屋だったのではないかという記憶だ。親父が油絵の具を買ったのを覚えている。そんなことに造詣が深かったわけではないと確信するのだけれど、そんなことをしたことがあったらしくて、家に油絵の道具があったのは覚えている。そして誰が描いたのかわからないが、印象派的な海辺の景色を描いたものが額に入って玄関の白壁にかけてあった。

 有隣堂が新しいビルになった時に、とてもまぶしいくらいだったのを覚えているが、今になってみると、とても古くて、なんだかどこか地方都市に辛うじて残っている昔ながらの本屋という気がするのだけれど、考えてみたら、正にそのままなのであって、全然間違っちゃいない。


 そういえば横浜駅の西口にまだ高島屋ストアと相鉄名店街があるだけだった頃に、東京のガールフレンドを連れてきたら、彼女も「仙台とか、地方都市に来たような感じだ」といっていた。確かに今でもそんな感じがする。どこか、隙があって、油断があって、それが全体に流れているというのか。


 そして不二家はまだそのまま建っていた。あの時代にこれだけ大量のガラスブロックを使っていたのには驚きだけれど、これはいったいどこで作ったのだろうか。ガラスブロックは保温性についていえば全く役に立たない。綺麗で外光が入るので明るいのだけれど、北風にさらされると思いっきり内部に結露する。なんでそんなことをいうのかというと、今の私の部屋が正に北向きにガラスブロックを積んであるからなのだ。冬になると結露で大変なことになる。二階はガラス張りで、今は使われてないのかも知れないけれど、天井から電灯の笠がぶら下がっているのが見える。多分ここに大きな椅子をかまえて、駐留軍の将校が足を組んで新聞を読んでいたのは丸見えに見えるだろう。彼らにとっては、戦後の薄汚い格好をした非占領・敗戦国民がうごめいていたのを悠然と見下ろしておったのだろう。


 向かいが昔の野澤屋だろう。7階建てのビルだけれど、今はJRAの「エクセル伊勢佐木」とされていて、全館場外馬券売り場である。野澤屋は当時一番上の階に大食堂があった。子どもにとってはそれはそれは魅力的であった「お子様ランチ」や「ソフトクリーム」をこの大食堂で食べさせてもらえるのが一番のお出かけだった。当時は他に興味はなかった。しかし、その週末、つまり日曜日に親父が家にいたら何回かに一回はよそ行きを着てお出かけした。そうでない日曜日は午後遅くから親父と近くの東映封切館に二本立てを見に行った。
 大友柳太朗、大川橋蔵東千代之介片岡千恵蔵中村錦之助、市川歌右衛門月形竜之介、悪役といったら吉田義夫だよねぇ。市川歌右衛門旗本退屈男は小中学生の頃の得意技の一つだった。「この眉間の三日月が目に入らぬかっ!」とやってみせるのが得意だった。今でも同世代の友達のなかであれば、高橋圭三の「どうも、どうも、高橋圭三です!」と一緒に得意としているのだ。


f:id:nsw2072:20190131214428j:plain:w360:left 帰り道に通りすがりにパスタ屋に入って昼飯を終わらせてしまったが、考えてみたら、不二家の奥に入って、ハンバーグでも食べてくれば良かった。なんでいつもこういう外出をすると、このてのしくじりがあるのだろうか。帰りは横浜に出てから、京浜急行の快速で帰ってきた。市営地下鉄-東横線-日比谷線というルートもありだった。