むちゃくちゃ暑いですが、いかがお過ごしでしょうか。
暑いせいでもないのでしょうけれど、ちょっとなにか食べると、しばらく経って猛烈な眠気に襲われます。
1時間かそこら寝ると暑くて目が覚めます。
夕方になって、図書館とスーパーに行ってくると、また眠くなります。
また暑くて目が覚めます。
こりゃ、困った。
アルツハイマーの治療薬が承認されるそうです。
横浜・伊勢佐木町の通りに面して建っている不二家のガラス張りのビルがとうとう解体されるそうです。
この写真はコロナ前、2019年にふと思い立って出かけた伊勢佐木町です。
私達がまだ小学校に入るか入らないかの頃から、偶に親父が休みになると、よそ行きの格好をして出かける先は伊勢佐木町でした。
電車がまだ桜木町で東横線も京浜東北線も終点だった時代です。
桜木町から伊勢佐木町は1kmもないのですが、周辺が全部米軍に接収されていてなぜかそのあたりはずっと板塀がめぐらしてあった記憶です。今の首都高速が走っているところは川だったと思います。橋を渡って伊勢佐木町の通りに入っていったような記憶があります。それも脂ぎったドブのような川で横の方を見ると、ドヤのような舟がモヤッてありました。三層くらいのデッキになっていたんじゃないかなぁ。
それでも滅多にないお出かけで、野澤屋デパートの食堂でソフトクリームを食べるのがごちそうでした。日の丸がたったお子様ランチを食べたのも多分ここの食堂のような気がします。不二家のビルはやっぱり接収されていて、二階のガラス張り越しに、多分将兵が大きなフカフカそうな椅子に足を組んで座り、新聞をばっと広げているのが見えたりしていました。だから、多分この不二家には入ったことがないんじゃないかなぁ。
有隣堂は木造の三階建てだったような気がします。上の階に画材売り場があって、なぜか、あの不器用なうちの親父が画材を買っていたような気がするんです。しかし、本当にあの人が油絵を描いていたんだろうか。後に女子美に通っていた姉に聴いてみようと思います。
当時、帰りはもうみんなくたびれちゃったのか、日野ルノーの小さなタクシーに乗って帰ってきたような気がします。初乗り、40円だったことはよく覚えています。
しかし、それにしても1937年に建ったビルがよく今まで持っていましたね。今回のこの解体の記事で、そもそも不二家が元町から始まったことを初めて知りました。