ほぼ足りてまだ欲 その先

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イブの夜

 イブといって前夜祭かと思っていたら、当時(ま、2000年ほど前のことなんだろうけれど)一日を日没から数えたんだそうで、だから、日が沈んだら、もうその時はクリスマスとして考えて礼拝をするのだそうで、前夜祭でも何でもないわけ。あたりまえなんだな。しかも、巷ではクリスマスはイエスというキリストの誕生日だといわれていて、テレビでしたり顔のおじさんもそういっていたけれど、実はキリストの誕生日がいつなのか、どこにもエビデンスはなくて、わからない。わからないけれど、とにかく、生まれたんだから誕生したわけで、それをこの日に祝う、ということにしたということなのね。こんな寒い時に生まれたのかどうか、それすらわからないんだよ。

 イエスは生まれたところも既に臭い、汚いところだったといわれているわけだけれど、そこから先はどんどん迫害されちゃう。結構強気にいろいろやったり、いったりしているけれど、結構迫害された。挙げ句にお前は偽物の王様だだといわれて、茨の冠をかぶせられて、十字架なんかを背負わされちゃって、坂道をズルズルと引きずりながら歩き、弟子たちには裏切られ、住民には「死刑だ!死刑だ!」といわれ、最後は手足を十字架に打ち付けられて(お〜ッ痛そうだなぁ〜!)、挙げ句に両足の臑を折られ、脇腹を槍で突き刺されて、命が絶えちゃう。痛い、つらい、怖ろしい!と、ここまで聞いて大腸のポリープぐらいで怯えるな、という声が聞こえてきた、そんな今日の礼拝でしたねぇ。隣のおばさんが大きな声で歌うので、こっちも負けじと唄った。
 何曲も聖歌を歌い、節をつけたお祈りに調子を合わせているうちに、危うくなりそうで、ようやく踏みとどまった局面もあった。そういえばあの聖歌は25年ほど前にボロボロになったことがある曲だったかも知れない。
 20年前に入った大学の当時の学部長に久しぶりにお会いして、互いの年齢を確認し合うことができた。先生はもう80歳になられたそうだ。

 築地木村屋でカレーパンを買って帰る。銀座へ出て、温かくて軽いコートを物色すれども、条件に合わず。銀座松屋の前に社会鍋が出ていたので、いつものように小銭を全部入れた。ラッパもなく、唄もなく、西洋人の女性と日本人の男性が救世軍の制服でもなく、鍋を前にしていた。
 バスの中で中国人の若い女性に席を譲られそうになるも、断った。普通だったら断らないのだけれど、彼女は夫と乳母車の赤子と一緒だったのだ。言葉は通じなくても、意思は通じる。