ほぼ足りてまだ欲 その先

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思い出せねぇんだ

 ある特定のお婆さん女優の名前がちっとも出てきませんでねぇ。ネットで「お婆さん女優」で検索してみたら沢田雅美とか、石田あゆみとか、全然お婆さん女優じゃない人の名前が出てきてねぇ。もたいまさことか、室井滋なんかも出てきちゃって、本人たちが可哀想だよ。
 え?石田あゆみなんてとっくにお婆さんだ?そうじゃなくて、お婆さん専門の女優ってことよ。例えば飯田蝶子とか、原泉(これも出てこなかったなぁ)とか・・。原泉中野重治の嫁さんだったから、共産党系作家でまず中野を探し当て、そこからせめる(笑)。原ひさ子も1909年生まれだから、随分活躍したよねぇ。前進座の出身だってんで驚いちゃったよ。
 で、ふと思い出したのが、良く鶴太郎が物まねしてたなぁ,あの人はって。それで検索したのさ。「鶴太郎が物まね、お婆さん女優」で。
 出てきました!浦辺粂子!!気がついたときからずっとお婆さんだった。1902年の生まれだってんだから、終戦時、既に43歳。原泉なんて1930年生まれだから、全然若い訳よ。テレビで浦辺粂子を良く見たのは多分1980年代だったのかも知れないが、彼女は悲惨な最期を遂げている。台所のガスコンロの火が着物に燃え移って大火傷をし、そのまま他界したという。一人住まいだったのだそうだ。

 お母さん女優というのは随分たくさんいたけれど、お婆さん女優というのは他には北林谷栄とか、佐々木すみ江なんてところかなぁ。私にとっては浪花千栄子だってお母さん女優なんだよね、だって「お父さんはお人好し」に出ていたんだから。

 ところで、昨日の「徹子の部屋」の総集編に岸惠子草笛光子が出てきた。二人とも、私の実家に近いところの生まれで、子どもの頃から名前だけ知っていた。二人とも神奈川県立横浜第一高等女学校の出身。岸は48期で、草笛が一年下。この学校は1948年に県立横浜第一女子高校と改称。1950年に県立横浜平沼高校となる。岸惠子はフランス人と結婚していたことがあるが、当時は良く白楽の駅から二人で電車に乗るところを見たことがある。草笛光子の妹は富田恵子というのがいて、昔、参天製薬提供、ラジオ関東の「昨日の続き」に出ていたので覚えている。うちの姉たちの女学校の同窓生だそうだ。但し、顔がわからない。