ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

さて

 そして、その黒崎君である。黒崎君は高校の三年間でどこから同じクラスになったのか、記憶にない。うちの学校は毎年学級編成をしていた。なんであんなことになっていたんだろうか。三年生の時は、それぞれの志望によって編成されたからしょうがないとはいえ、一年から二年になる時も編成し直している。理由が良くわからない。三年になる時は、国公立大を目指すグループ(受験科目が多い)や理系を目指すグループはほとんど男子生徒だった。私立文系を受験するグループ(私はもちろん軟派となっていたので、受験科目が少ないこっち)は男女混合クラスだった。で、高校を卒業して就職するというグループは全員が女子で、確か3-4クラスあった。女子で大学へいかないという生徒が珍しくなかった。
 軟派になってしまって、後に医科歯科大に進学して歯医者を開業した三谷君が「一緒に勉強しようよ」といってくれたのに、それをむげなく断って、英語の勉強だけを塾と課外授業で楽しんでいた。そんな連中の中で、バンドをやろう!という連中が集まった。ギターもピアノも弾けない私はドラムをやろうといって、セットを買う余裕なんてないから、パールのスネアと、ハイハットだけを買った。で、教室で練習を始めた頃、クラスではほとんどというよりも全く会話をしたことがない、ほとんど口を開くのを見たことがない黒崎君がやってきて、「僕も入れてくれ」というのだ。でも、ギターを弾けるわけでもない。ピアノは自宅にピアノを持っていて、当時既に作曲もしていた茂呂君が担当していた。彼は絶対音がわかっていて、メンバーのギターのチューニングをそらで完璧にこなしていた。となると、じゃ、僕がMCと歌、ということになって、彼に、私が自分で買ったスネアとハイハットを使ってもらうことにした。プロデューサーもやっていたことになるかなぁ、アハハ。
 で、黒崎君にどうして、バンドをやりたいのかと聞いて驚いた。彼は全く目立たないので、誰も興味を示さなかったのだけれど、かつてビクター少年民謡会なるものに属していたんだというのだ。今検索しても、このグループの名前で民謡の音源がいくらも出てくる。しかし、彼はその片鱗すら見せず、まるで当時の橋幸夫のような髪型で、黙々とスネアとハイハットを叩いていた。その後彼がどうなったのかは、全く知らない。もっともわたしがクラス会や同窓会に、1-2度しか参加していないのだから、わかるわけがない。
 卒業の時の集合写真でも、やっぱり黒崎君は船橋君と肩を並べて映っている。

f:id:nsw2072:20200726170642j:plain