ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

クラス会

 1966年の春に卒業した高校のクラス会を久しぶりに開いたのは1999年のことだった。
担任の英語の川辺先生は70歳を超えたところだったような気がする。
だとするとあの先生は当時大学を卒業したばかりだったということか。
当時私は会社を辞めたばかりだったから、比較的時間があると見られていたので〔実は毎日の宿題に翻弄させられていた〕、音楽業界で音源のデジタル処理をやっていた友人と一緒に幹事をやった。
古い名簿から連絡を取ったけれど、結局集まれたのは、20名弱だったような記憶だ。
女性の方が多かった。

 それから2-3年してそのクラスのひとりで、クラス会には来なかったひとりの男性から封書が届いた。
それが常軌を逸していた。
封のところに、かつて職場で使っていたような、小さな判子、訂正印として使うような、がめったやたらと押してあった。
読み進むと、アメリカの某大学に留学をしていたことがあり、そこで博士号を取り、今某私立大学の学長をしていると書いてあった。
いくら2000年前後とはいえ、大学のウェブを検索したら、そんな人の名前がないのはすぐさまわかる。

 私が疑ったのは彼が統合失調症を病んでいるのではないか、ということだった。
誇大妄想を引き起こしているとしか思えなかった。
学校に近い駅の横にあるチェーンの居酒屋でクラス会を催す、ひいては君に会計係をやって貰いたいと書いてあった。
距離を取った方が良いと思ったので、返事を出さなかった。
すると彼は電話を掛けてきた。
私は出なかった。
次に来た手紙は、同じように訂正印がやたらと押してあって、「当日君が来なくて残念だった」と書かれていた。
何人か人が来たのかどうかは書いてなかった。
数ヶ月して、近所に住んでいて、時として偶然出逢う女性の元クラスメイトに遭遇したので訊ねたら、やはり逡巡して行かなかったといった。

 その後彼がどうなったのか、全く聞かないでいる。
あれからクラス会は開かれなくなった。
彼が現場に来たら困ると思っていたから、自分から言い出しかねた。
私にとっては唯一開かれたクラス会がそれだった。

 小学校も二回転校し、中学校も転校した私には、どちらからもクラス会の声はかからない。
そして、高校のクラス会も開かれなくなった。

 彼はその後どんな人生を送っているのだろうか。