ほぼ足りてまだ欲 その先

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平和堂

f:id:nsw2072:20201008143157j:plain:w360:left かつて神保町にあった靴屋でトラッド小僧たちの垂涎の的だったのが平和堂という靴屋だ。どこでどう知ったのか、もはや全く記憶にないのだけれど、ソウルも皮でできた靴で、私が買っていたのはプレイン・トゥの外羽根の黒。仕事に行っていた頃は二足を交互に履いていた。それでも皮の底は摩耗するので、しばらくすると、平和堂へ持っていって、裏を換えて貰って、アッパーが本当に草臥れるまで履いていた。
 ところがこの靴屋がバブルの時に、なにを思ったか、店をビルにしてしまった。それもグラナイトの石を貼った洒落たビルで、その石の壁に直接店のロゴを刻み込むという意気込みだった。ところが(多分)バブルがはじけて負債を負担しきれなくなったらしくて、しばらく経ったら店を畳んでビルは人手に渡った。あれだけ有名な店だったので、今でも検索すると、あの店のことを書いていた人たちの記事がヒットする。閉店したのは2006年の3月だと書いてあるから、意外とたった14年前のことだ。いや、もっと前のことかと思った。
 というのは、多分私がもう平和堂の靴を買うのを辞めたからではなかったのか。実は御徒町にあった内山靴店という小さな店で、平和堂の靴とそれほど遜色のない、それでいて底が天然革でなくて、耐久性のある、しかも平和堂の値段よりももちろん安い黒のプレイントゥの靴を買うようになったからだろう。つまり、私のような人間には平和堂の靴を常用するのは身分不相応だったのである。そりゃ誰だって高級と言われるようなものを身につけたいだろうけれど、それは収入や可処分所得に見合っていなければ、長続きはしない。
 内山靴店はまるで戦後のどさくさに開いた靴屋のような、まるで仕舞た屋の土間に靴を並べたような店だったけれど、私が好んで履くその靴はいつまでも置いてあった。そういう靴を履く必要がなくなってもう既に20年以上経つが、あの店はついこの前まで存在していた。しかし、遂に店を閉め、先月は全く違う建物が工事中だった。何になったのか、そのうち見に行かなくてはならない。