ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

小三治

f:id:nsw2072:20211101025127j:plain

NHKの「小三治を偲ぶ」を録画にしてあった。
まだ前半しきゃ見ちゃあいないが、「落語を見に来る人は人柄を見に来るんだ」という言葉には、そうそうと頷いた。
確かに、人柄は高座に出る。というか、出てしまう。正直なもので、こればっかりはしょうがないし、若いときには、それはそう簡単にはわからない。
そんなことをいったって、そりゃねぇ、落語だけじゃないんだよ、とは思いたいが、どうも実は落語だけじゃないかという気がしないでもない。
他のエンターテインメントは共同責任だ。
しかし、落語は演者そのものの責任だものなぁ。
小三治はたぶん高座を降りたら、かなり神経質にしていたんじゃないかという気がするけれど、高座では、正に小言幸兵衛そのもののような気がする。
そりゃ勝手にこっちで決めつけているだけだけれどね。
だから、みんな列を作っても彼を「見たい」と思っていったんだろう。
「ねぇ、ちょっとさ」「何です?」「シャッター押してくれ」っていうような噺家だったら、なんかの都合がついたらでも構わない。
実はそういう噺家いるんだね。
別段わざわざ行く気にもならない。
じゃ、おまえ今だったらどんな噺家だったらわざわざ行くんだよ、と聞かれると迷う。
さん喬、権太楼あたりは誰でもそういうだろう。
正雀さんも好きだ。
面白いというか、今どきこの人の名前を挙げておかないと、格好がつかないかなぁ、という点では喬太郎、扇辰あたりかなぁ。
二つ目だったら、春風亭一花が面白くなってきた。
旦那の古今亭馬久はここのところ聴いていないので、なんともいえない。
修行途中は省いて、ガラッと変わったところを見てみたい。

笑うと人は嬉しい。小三治が言う通りだ。
だから笑いたい。
笑わない日々が続くと、人は下を向いて歩く。