ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

母ひとり子ひとり

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 物心ついた頃にはもう父親はいませんでした。
母親はパートタイマーを掛け持ちをして、ようやく私を育ててくれていました。
一番の楽しみは誕生日にふたりして蕎麦屋に入ってお蕎麦を注文することでした。
その母親がとうとう病気になってうちで寝たきりになってしまったのです。
そりゃ80歳を超えていましたからもうそうなる人が出るのは当たり前だったわけです。
元気な人は、全然大丈夫なのに。
どうしたら良いのかわからなかったんだけれど、周りの人に聞いたら往診の先生がいるというんで、すがりつきました。
しかし、とうとう、気がついたら死んでしまいました。
もう、私は一人になってしまいました。母親の年金ももうこれで終わりです。
これじゃもう生きていてもしょうがない、自分もおかあさんの跡を追う、しかし、一人じゃ死ねない、そうだ、奴らだ!
往診の先生にすがりました、お願いです、母親を生き返らせて下さい!
そうしたらその医者が「もう無理ですよ、なくなったんです」というんです。

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そんな人だったのかなぁ、と思うんだけれど、だからといって許されるこっちゃないものなぁ。
なんでひとりでいかないのだろうか。
自分がこうなったのは、自分が悪いんじゃない、社会が悪いんだ、という判断からそうなるのだろうか。
人から良くして貰ったという自己認識ができない、ということだろうか。

追記

 電話の音声がどんどん公開されている。
どうやら尊大な態度を誇示する単なるクレーマーの劣悪版だったようだけれど、会話をする相手は多分ほとんどいなかったんだろうなぁ。ようやく見つけた相手にこの始末。
しかし、これだけどんどん音声が流布してしまって良いものか、疑問は残る。

追追記

 この母と息子は生活保護受給者だったことがわかったそうだ。従って母親の年金で生活が成り立っていたわけではなかった。
となると、母親は施設での介護を受けることもできたはずで、この理不尽な有様は生活資金に困るからだということではなくなってしまう。
では、彼がこんな具合に周辺の支援をないがしろにした理由は一体何だろうか。
 人様から提示される支援の力をむしろ自分を下位に相対化するプレッシャーとして受け続けた思考回路か。