ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

出し抜く

私が育った時期は、あの戦争が終わってからの10年間ほどが基礎的な価値観を育む時期だったのではないかという考えが常に滞留している。
そこから次の10年間は、そこから多少なりとも人間的なフェアネスに気がついてきた時期だったかも知れない。
小学校に上がったのが、1954年だから、もう連合軍による占領は終わっていた。それまでの間、「早い者勝ち」の社会に暮らしていたんじゃないだろうか。端っこく気がついて、他の連中がボォ〜ッとしている間に先手を取る、取った奴が勝ちだった。就学前の子どもにとっては大したことができるわけじゃないが、例えば大人の足下をくぐり抜けて前に出たら殊勲賞、みたいなものだ。
そういう価値観を背中に背負って育ってきていたから、長ずるに及んでも、そうした思考回路はどこかに潜んでいたような気がしてならない。
周りの連中もそうだったから、例えば、同じサービスをする窓口が二つあったら、仲間とか、同僚をあっちの列にも並ばせておいて、早く進んだ方にポンと飛び移るなんてことをすると、目端の利く奴だとあとで褒められたりね。そんなことが会社員時代にも随分あった。気がついたら他の連中ははるか列の前の方にいっているなんてことも珍しくはなかったものなぁ。

出し抜ける奴が仕事ができる奴、という文化は儲かるかも知れないけれど、恨みは買うな。
戦争で散々な目にあわせられたんだから、産業復興に協力しろとしいた中国政府に、文句なしで技術をどんどん提供した日本企業は、売れれば良かったわけで、目端の利く連中に技術をどんどん渡していった。その結果、こうなっている。復興して金を握った企業は独裁者の力を背景にどんどん儲けているのをみると、なるほど、金は出し抜けば集まるんだと、まだあの価値観が跋扈している世界があることが意外だった。

造反有理といっていた「造反」とはこのことだったのかね。