ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

もう普通

根津神社躑躅は今からがよろしいと思います。

 私は未だに部屋の中のイベント、つまり、ライブとか、寄席とか、ギャラリーとか、映画なんてところには全く足を踏み入れていません。しかし、周囲では皆さんほとんどCOVID-19以前の状態にほぼ戻っておられるような雰囲気で、FaceBookでも、ライブをやった、人のライブを見に行って唄ってきた、なんて書き込みが溢れております。しかし、本日の東京の新規陽性者数は5,583名で、かつてだったら大騒ぎになるような数字です。しかし、ほとんどの人はもはや全然気にしていません。バスの中でも平気で喋っているし、窓が閉まっていても開けようともしませんからね。

 今日は隣の区の図書館に予約してあった本を取りに借りに行きました。今回もまた驚くような中身で、あぁ、こんな本は自分で持っていたいなぁと。

 話せば長くなるのですが、1873年生まれで、1901年に米国Seattleに移民し、37歳の若さで結核を病んで他界した日本人のフォトグラファー、松浦 Frank 栄を、同じ墨田区で生まれ、開成中高から早稲田大に進学、同じフォトグラファーとして朝日新聞で仕事をした著者が現地にその足跡を求めて通いに通って取材した興味深い写真満載の本。A4横位置で200頁の大変に重い本で、こりゃ寝っ転がっては見られない。先週の日曜日にNorth West Japanese American Museumかなんかの主催で、Frank Maturaに関するシンポジウムがZoomであって、オカナガンのような田舎町で写真屋を営んで、今でも街の人たちから覚えられている日本人に大いに興味をそそられたのである。

 高平哲郎は私よりは一学年上で、医者のうちだから小学校から武蔵だそうだ。一橋大社会から博報堂。ひとつ上だけでは納得できないほど、彼は私が覚えている面白かったことをもっと前から知っている。中に書かれていることの大半は、ウンウン、そうだった、あ、いや、そうだったのか!と頷きながら読むことになる。例えば銀座のいわゆるジャズ喫茶のことでいえば、私はACBや不二家ミュージックサロン、銀巴里といったところは分かるんだけれど、ニュー美松やテネシーは知らない。フランキー堺のシティースリッカーズは私も知っているけれど、東宝ミュージカルについては全く見たこともない。読むほどに、引き込まれていってしまいそうだ。後ろ向きの読書は面白いぞ。

 終戦(ここでは8月15日)直後に横須賀から復員した戦艦武蔵生き残り。戦後の日記になっている。