ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

給食

写真は全く関係がありません。これでも洋品店です。

 何かの宣伝で、お腹を空かせた子ども達のために援助を受けて給食が始まったという説明があった。あの援助とはLARA(Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)が初めて送ってくれたと聞いているが、その影には日系人の浅野七之助がいたそうだ。その後、ユニセフが援助してくれたそうだ。
 私は戦後の生まれなので、食べ物がなくて往生したという記憶は幸いにしてない。つれあいに聞いても、ま、彼女は幼い頃の記憶がほとんどないというのだけれど、お腹が空いて往生したという記憶はないという。それだけ恵まれた環境にいたということだろう。しかし、6歳歳上の長姉はそんなことをいっていたらしい。
 小学校に弁当を持っていったことはないから、最初から給食があったんだろうか。ただし、あの脱脂粉乳というか、今でいえばスキムミルクだけれど、のまずさだけは鼻や喉にこびりついていて、「いただきまぁ〜す」といってから一気に流し込んだ。そうしないと取り込めない。残すなんて考えられなかった。しかし、その後の子ども達のように、全部食べないと外に遊びに行ってはいけない、なんてことはなかった。
 一年生に入った当初からかなり長い間、二部授業だったような気がする。四年生の一学期が終わって転校した先ではもう二部授業なんてなかったけれど、横浜では当たり前だったのかも知れない。午前中のクラスは給食を食べてから午後のクラスと交代して下校だった。つまり午後のクラスは昼飯を食べてから登校したのだ。

 中学からはもう給食はなかったから、多分うちのおふくろは毎日弁当を作ったのかも知れない。多分、おかずの中でも一番多かったのは、竹輪とか焼き蒲鉾の甘辛煮付け。時間がかからないものねぇ。