ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 どんどん朝の目覚めが遅くなる、というか、寝付きが遅くなるというか、夕方に2時間ほど寝てしまうので、それで、サイクルがずれていきます。今朝なんぞは起きたら朝9時半。それから朝ごはんを食べるわけですから、散歩に行くのも遅くなる。それに朝早くは寒くてねぇ。その上、今日は風が強くてねぇ。お陽さまのあたる道を選んで歩くとどうしても、南北方向になってしまう。今日は北の方向へ向けて歩きました。すると、七福神の幟が立っていたりするわけで、それで爺婆が日頃通らないところにも、人が出てきます。

 それでたどり着いたのはまたしても向島の百花園。しかも、ここにもそういわれてみると、門から入って真っすぐ行った先に小さな鳥居があって、それが「福禄寿」だと書いてあります。中国のおっさんですな、この人。背丈が小さくて、頭がツルツル。そこまでは私によく似ておりますが、私は頭があんなに長くはない。長かったら身長稼げたのにね。
 そんなわけで、百花園の庭は枯れ果てておりますが、どんどん、善男善女かどうかわかりませんが、爺婆がやってきます。係の女性がこんな忙しいのは見たことがありません。恐らく三が日はもっとごった返したのかもしれません。園そのものはクローズですが、福禄寿参りだけはできたそうです。

 奥の方に日本橋と彫られた橋の親柱だというものがあります。どうしてこんなところにあるんだろうと、不思議ですが、横に立っている看板に「石橋時代の模造品と思うが文字は徳川慶喜と伝える。」と書いてある。「と、伝える」って誰が伝えているのか定かではありませんから、本当かどうかわからない。不思議なものでございますよ。
 確かに石橋の日本橋が架かった時にはその親柱は徳川慶喜が揮毫した文字が彫ってあったんだそうですから、それまでそっくりに作ったんだから、そういうことでしょう。しかし、そんな事をいったら、石碑だとか、墓碑だとかに「だれだれ揮毫」ってあるのも、それを彫ったのは石工ですから、正確に表現したらその「だれだれ」ではないじゃないか、ということになってしまうわけですな。

 園内にはいくつもいくつも句碑のようなものが立っているんですが、ほとんど真面目に見たことがありません。しかし、最中堂秋耳という随分変わった名前の人の句が、わたしいたく気に入りました。
「限りなき そらの要や 望(もち)の月」ってんですが、うまいこといいましたよねぇ。そうか、そのとおりだけれど、悔しいなぁ、その視点自分のものにしたかったなぁと、唸りましてございます。