ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

辻信一

 全然忘れていたんだけれど、辻信一って「スローライフ」の人だったね。『スロー・イズ・ビューティフル――遅さとしての文化』2001年(平凡社
鶴見俊輔が一年間だけモントリオールの大学で教鞭をとったときの学生の一人で、1991年に帰国してからは明治学院大の国際学部にいた。2020年定年退官、名誉教授となる。

 そういえば私が師事した先生も週に一度戸塚の山の中にあるこの学部に行っていたことがある。この学部は創設時に参画した経済学者の玉野井芳郎は「民際学部」を提唱したという。ありきたりの「国際学部」なんて言う名前よりもこのほうがなんぼか気が効いているが、たぶん「学生に理解されにくい」かなんかで没になったのかもしれない。立教大の「コミュニティ福祉学部」という名前もおいそれとは理解されないかもしれないが、月並みな「社会福祉学部」なんてのよりは面白い。最初はなんとなく気取った名前だと思っていたけれど、今になってみると、菅義偉の「自助・共助・公助」を粉砕するとても良い名前だ。

 その辻信一が高橋源一郎と対談をしていて、それが大月書店から三冊出ている。

2014年

2018年

2021年

 なんで辻信一と高橋源一郎なんだろうか、と思ったら、彼らは同一の時期にその明治学院大国際学部の教員をしていたんだそうだ。辻信一はともかくとして、高橋源一郎が大学の先生だったとは知らなかった。

耳鼻科

 数年に一度耳鼻咽喉科のクリニックに行く。何事かというと、耳の掃除である。耳鼻科の先生によると、私の耳の穴はどうも素直ではないらしく、普通の人の耳の垢は適当に外に出て行ってしまうのに、私のは出ていかなくて、鼓膜を塞いでしまうのだそうだ。耳の中に生暖かい液体を注がれて、しばらく両耳を抑えている。10数分して先生が細い管で吸引してくれると、それが取れて鼓膜が現れる。今ではそれほど劇的に変化をすることはないけれど、昔は本当に「すっぽん!」という感じで耳が通り、驚くほど聞こえるようになって感動すらしたものだった。今回は2-3日前に左の耳の中にコロコロする様になったのをきっかけに行ってきた。お支払い、わずかに470円。ありがとうございます。

犬塚弘逝く 94歳

 これでとうとう、クレイジー・キャッツは全員あっちへ逝ってしまった。彼らは面白かったなぁ。よくあれだけのキャラクターの持ち主が集まったもんだと返す返すも感心したもんだった。元はといえばフランキー堺が始めたアメリカのバンドのパクリ・バンドだった。オリジナルはかのスパイク・ジョーンズである。本名:Lindley Armstrong Jones。ヴィクター・ヤング・オーケストラのドラムだったといわれている。日本でも知られている彼の大ヒットといえば、「ウィリアム・テル序曲」だ。われわれの世代の人で聞いたことがない人はたぶんいない。


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 私が忘れられないのは「バナナ・ボート」だ。ハリー・ベラフォンテ、日本で唄ったのは「カリプソ娘」の浜村美智子。この曲を録音するという設定で、「デ〜オッ!」と歌手が叫ぶとディレクターが「うるさい、もっと離れて歌え!」と指示する。何しろ昔はマイクから離れることで音量を下げていたわけだ。ちょっと離れるけれどまだ「離れろ!」といわれる。ブツブツいいながら離れていって、最後は部屋から出て歌うというお笑い。
 私はこれがスパイク・オーンズだと思いこんでいた。やっぱ面白いなぁと。ところがこれはそうじゃなかった。Stan Frebergというマルチ・タレントの作品だった。話はそれるがこれも実に面白い。最後のオチがいい。


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 で、フランキー堺スパイク・ジョーンズのようなバンドをやりたくて、とうとうバンド名までパクって「フランキー堺とシティー・スリッカーズ」というバンドを作った。このバンド自体をテレビで見た記憶はないんだけれど、当時の日活の映画のキャバレーシーンで、このバンドが出てくるのを何処かで見たことがある。昔はいわゆるグランド・キャバレーといわれるような、劇場のような店には必ずビッグ・バンドが出ていた。後年の横浜・クリフサイドでは南里文雄とホットペッパーズが出ていたのを見たことがある。サラリーマンが行ったんだから贅沢な時代だ。その日活の映画ではギター・プレイヤーが立ち上がってソロを演奏する。それが植木等だったのは画面でもわかった。フランキー堺自身はとても腕のたつドラム奏者だった。しかし、彼はそこからどんどん日活の映画に出て行ってしまう。「幕末太陽伝」なんて映画ヒットを飛ばし、テレビで「私は貝になりたい」の主人公を演じて、東宝の社長漫遊記シリーズでなくてはならない俳優になってしまう。
 谷啓クレージー・キャッツに参加して、植木等をシティ・スリッカーズから引っ張る話を確かラジオ深夜便かなんかで話していたことがある。これは音源がどこかに残っているはずだ。NHKが抱え込んでいるのかもしれない。


 あのメンバーの中で最も違和感が残っていたのは安田伸だと私は思っている。何しろ芸大卒だし、嫁さんはテレビ体操の先生だし、谷啓植木等ハナ肇にくらべたら素人っぽさ満載で、良くついてきたなと。そこへいくと犬塚弘(ようやく話が戻ってきた)は、元々渡辺晋のシックス・ジョーズのベースだったし、谷啓ほどスウィング・ジャーナルで褒められたりなんかしなかったけれど、生粋のジャズ・メンだ。つうか、あの頃ベース巡りの人たちはもとはといえば、素人に毛が生えたようなもんで、トラで仕事に入って覚えていった人ばっかりだった。ワンちゃんと呼ばれた犬塚弘クレージー・キャッツのあののりによく親和していたよね。