ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ふと気づくと


 かつてわが父親は、晩年になって急激に神道に傾き、家に神棚を作り、榊を上げ、近所の神社に犬の散歩を兼ねて参拝しては、リースの先に繋がれた小さな犬がウロウロしても動揺することなく長い事手を合わせていた。新幹線でも4時間以上かかる実家へも出かけて、生き残っていた小学校、当時の名前ではたぶん尋常小学校の同級生と旧交を温めていた。
 どうしても真珠湾に行ってくるといって団体旅行に参加してハワイに行った。その時のお仕着せの記念写真を見ると、スラリとしたにこにこ顔の現地の女性と一緒にニコっともしていない親父と、多少微笑んでいるおふくろが、レイを掛けて甚だ似つかわしくない写真になっている。


 私のつれあいの父親はかなり晩年まで戦友会の集まりには顔を出していたが、つれあいには全く戦争の話はしなかったそうだ。しかし、孫には時として話したらしく、うちの息子は聞いたことがあるといっていた。
 なぜ、晩年になってそうした昔のことが気になってくるのだろうか。忙しく働いていた時期はそんなことに思いを至らせるようなそんな時間がなかった、という点は大いにあるだろう。気になる暇もなかったといってもよいのではないだろうか。しかし、歳がいって、現役から退いたりすると、ふとした拍子にかつての思いが蘇ってくるのではないだろうか。すると、何かしらの行動に出るということは当然あるだろう。とても苦しい体験や経験をした人は、それがゾッとするような感覚とともに蘇ってくることは十分に考えられる。PTSDとまではいわないとしても、思わず「チキショウ!」と叫んでしまう、あるいは「悪かったなぁ」という慨嘆が漏れる、ということはあり得るのではないか。
 

 こんなに経ってからでも、ふとした拍子に、あの時、なんであんな仕事を担当することになったんだろうか、とかあの仕事から干されたんだろうかとか考えることはどんどん増えてきた。あの職場で同僚として働いていたあの人は、どうして私のことを遠ざけていたんだろうか、なにがきっかけだったんだろうか、と考えることだってある。ましてや、大きな災害に目の前で晒された体験を持っている人は、ふとした拍子にどっと重荷となって背負い込んでしまうことは十分に想像がつく。
 大震災やら、戦争やらに晒された人たちは、人生の何処かでふとした拍子に苦しむ可能性はある。戦争を引き起こす輩はたぶんそんなことには苦しまないかも知れないが、巻き込まれた人たちは確実に苦しむだろう。どんなにその時点では強がりをいって強引さをむき出しにして蹂躙してきたとしても、人生の何処かできっとその帳尻がやってきてしまう。ましてや蹂躙された方は悲惨そのものだろう。


 そんな人達はなにに助けを求めるのか。