ほぼ足りてまだ欲 その先

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異文化理解の根本

多文化論、異文化論、国際化、こんな言葉を見かけることがとても増えてきた。本屋の棚で、この種の言葉は反乱している。ここまでみんながこんな言葉を氾濫するほど駆使しているのであれば、私たちの国が驚くほど外に向いているのかといえば、全くその反対である。外に行くことには夢中であるけれど、こっちに来られることにはあんまり前向きに対応していない。そして外から何かを持ってくることにも夢中だ。これは明治維新が江戸鎖国のリバウンドとしてかき集め初めて以来の日本人の習性というか、癖というか。
あたかも私が何かを読んでいて分からない言葉にぶち当たったときに必要になることは英語が分かることでも、現地の言語を理解することでもない。
 それは、自分と異なる文化の担い手を受け入れ、その価値観を受け入れるということである。しかし、これができない。自分を押し通すということに陥る。それは、異文化とのぶつかり合いの中で発生するだけではないのだ。一人の人間ともう一人の人間の接触は、それがすでに異なる文化の接触である。だから、障がいを持つ人と持たない人との接触もすでに異文化接触であるし、電車の中で隣に座った人は無限の異文化の接触だ。