ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今は不動産が底なんだそうだ。こんな時に売るのは間違いかも知れないそうだ。それでも背に腹は代えられない。しかも、いつまでもこれまで住んでいたマンションの管理組合に首を突っ込んでいたくない、という気持ちもある。私の知人はもうすでに半年間以前住んでいたマンションが売れずにいて困っているといっている。尤も彼のマンションは値段が違うわけだけれど。

4年生たちは先日の卒業研究発表をもって全ての行事を終了した。あとは卒業式を待つのみである。
こんな時期だからか、昨年の卒業生の中にいたとんでもない学生のことを思いだした。前期に「社会調査論」という授業があった。国立のH大学の先生で広島における原爆被害者の調査を行ってきた社会学者の方で非常に地味な方だった。福祉の学部は社会福祉士の国家試験の受験資格要件として「社会調査法」の履修を求めているために、その授業は多くの学生が参加して行われる。そんな人数での授業では、誰かが理解できずにいるかなんて事は全くチェックするわけには行かないし、とにかく一方的に情報を与えるしかない。そこにいる学生のレベルが語っていることを正確に把握できるレベルかどうかという点でも確信が持てずに授業を行っていくしかない。
ところが、本来的には「社会調査論」を学んだ上で、「社会調査法」を学ぶべきにもかかわらず、受験資格要件でない「社会調査論」を学生は全く振り向かない。最初の週に指定された教室にでてびっくりした。確かにゼミ等に使われる狭い教室で、ほぼ25人も学生が入れば一杯という教室である。なんとそこにいたのは4年生が私一人、2年と3年が一人ずつというあわせて3名に過ぎなかった。そのうち就職活動を止めたのか目途がついたのかはわからないが、でるようになった4年生を含んで常時参加はたった4名。登録は全部で8名と先生のお話。残りの4名は一度も顔を出さないがどうなっているのだろうと不思議だった。中身は非常にレベルが高く、今になっても理解ができていない部分があるくらいだ。

そんなある日、前期もあと2週間を残す程度でレポートテーマをどうするかという話をしていた頃の授業中に、突然教室の扉がどんっと言う感じで開く。入ってきたのは男子学生。そこに立ったままその非常勤できて下さっている先生に言う。

とんでもない学生「就活で忙しかったからでられなかったんで・・」→(だからなんなんだよ)
先生「君ねぇ、今頃からでてきてもらったってなんにもならないよ」→(当たり前だなぁ、そりゃ、諦めろよ、このたこ)
とん学「レポートかなんかにするとか・・」→(おまえが言うせりふじゃねぇだろ!)
先生「もう諦めなさいよ、こんな時期に・・」
とん学「他の先生は、出席の代わりにレポートで許してくれるんだけどぉ」→(いくらせっぱ詰まってもそんな恥ずかしいこというなよ!)
先生「他の人がどうだろうと、この授業はここまで積み上げてきているんであって、そんなことしても話にならない。それに君は・・・・」
とん学「あぁ、もういい、わかった、わかった!はなしにならねぇや!」

はっきりいって驚いた。唖然とした。そりゃ居直るという話は昔からその例には事欠かないものがあるが、彼の場合は単なる居直りというだけの問題じゃない。その後の教室の気まずさには痛々しいものが満ち満ちていた。先生はこんなところまでやってきてこの始末に遭遇した悔しさ。私たちはそれでなくても自分たちがきちんとフォローできていなかった上に、最後に現れたバカがとどめを刺してしまったこの状況への恥ずかしさ。今でも忘れられない出来事だった。これはかれ一人の驚くべき挙動なのか、それとも全体的にこの方向に行っているのだろうか。受けていた授業が社会調査論だけに、即断はできない。

しかし、ここのところ遭遇している「自分の世界の常識」に固執する若き頑迷学生との軋轢を考えると、話の通じない大人子供が増えているのかも知れないという仮説を立てることは十分意味がありそうに思えてくる。