ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

公明正大な右翼

今年の憲法記念日に読売新聞は憲法改正私案なるものを大々的に掲載し、当日の新聞のかなりの部分をこれに割いた。

公器たるマスコミといったって、アジア太平洋戦争が終わってから半世紀過ぎてからというもの、マスコミはどんどん自分の色を濃く表現してあたりはばからない、というものになってきた。
右翼の読売はもう誰も否定しないし、そのまた上を行く産経新聞にいたっては偏向新聞と呼ぶべきであろう。

多くの中心線から右側に位置する人たち(正しい愛国者ではなくて、なんらかの思惑を抱えてかつての差別的、階級的、帝国主義的な優位に必ず自分が立つのだ、と信じて疑わない人たち)は盲目的に産経、読売を支持し、朝日新聞を偏向するマスコミと断じているわけである。

ここで日本国憲法をなぜ変えなくてはならないと思い、なにゆえ変えてはならないとそれぞれの「偏向マスコミ」は主張しているのだろうか。

戦争を引き起こし、あそこまで国民を引きずった勢力をどうして持ちかえり、戦争のための立場を憲法上にも確立したがっているのだろうか。彼らの主張はほぼ「自国を自ら守るのは国家として当然だ」の一点に絞られる。
守るべき「自国」の中にはもちろん天皇制が含まれていて万世一系天皇陛下をいただく「大和の民」が私たちであるというわけである。

しかし、大元帥としてすべての軍隊の頂点に立っていたのが、かの昭和天皇である。その天皇の御ん為というお題目に立って遂行されたのがあの侵略戦争である事は誰も否定できない。
それでも、天皇には責任はなく、天皇はいつでも広く国民を心配していたにも関わらず、周りにいたやつらが先走りをしたのだ、という説明もされる。しかし、その先走りをした連中をこの国は靖国神社という戦没者専門神社に奉り、神となったとしている。