ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

こりゃ大変だっ!

 28日の秋の園遊会で東京都教育委員を務める将棋の米長邦雄永世棋聖(61)が都教育委員の仕事について「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と陛下に説明。
陛下は「やはり、強制になるということでないことが望ましい」と発言。米長教育委員は「もちろんそれはそうです」と答えた。
園遊会後に宮内庁の羽毛田(はけた)信吾次長は、側近を通じて陛下に発言の趣旨を確認したとしたうえで「強制ということではなく、自発的というか、喜んで掲げる、歌うというありようが好ましいということを言われたのだと思う。具体的な行政施策の是非を述べられたものではない」と説明。(毎日新聞04.10.29)
 政府も必死に弁明にこれ努めておる。なぜかというと、天皇陛下が仰ったことが国政に対する批判、だったとすると憲法違反になってしまうからである。1999年に制定された国旗国歌法は、初めて法的な根拠が作られたわけだけれども、これに対して尊重義務や罰則はない。だけれども、みんなが知っているように東京都の公立学校ではその式典の中で日の丸の掲揚、君が代の起立しての斉唱が指導強化されており、それに反する行為のあった教員はこれまでに処罰されてきている。これは公務員の指示違反、要するに上司の命令に反する行為に対する処罰であって、なんだか「上官の命令は・・・気をつけ!畏れ多くも・・」を想い出させるものではある。
 その後の官房長官の発言、文部科学大臣の発言、私のチーフ公僕の発言なんかを見ると、これを問題として取りあげたら大変なことになってしまうという思いと、宮内庁の後追いコメントに見るように、「強制しなくちゃやらない今の状況ははなはだ遺憾であって、みなが一斉に強制されなくても自発的に<全員で>唄うようになることを望んでおられるのだ」と作り出していこうとする意図が感じられるというか、もろそのものという感じ(かも知れない)。
 そこいくと、東京新聞(041029.00:00)が報じる、今をときめく南野知恵子法相の「教職員を含め、一人一人の判断に任せてよいと思う」と云うコメントはどうするんだろう。